「私が抱いた違和感を、来場者の方々はどのように感じられるのか、作品を通して対話してみたかった。日本でもいまだに『裁縫は女性の仕事』という価値観が残っていますが、『縫い物や編み物をしていると、リラックスできる』という来場者も。作品を早い段階で他者に開くことで多様な声を集め、この作品の続きを編んでいこうと考えました」
表現の境界線が掴めるように
絨毯だけでなく、落合の部屋にはルーマニアの蚤の市などで買ったり、集めたりしたものが数多く置いてあるという。心動かされたものを空間に置いておくことが、作品の着想につながる。何かの衝撃で感覚が揺れたとき「結びつきそうにない点と点がビュッと繋がり、線になっていく」感覚を大事にしている。
「(創作が)言葉からはじまるとあまり上手くいかないですね。社会や大人としての窮屈なルールを離れ、感覚をひらき、まずイメージからはじめて、頭のなかで遊ばせていく。その次に、ドローイングや写真として現実世界に出して並べて、点と点を結んだりして眺めています」
2020年のForbes JAPANのインタビューで落合は、「美術は国や言語を超えてつながり合うことができる、ビジュアルランゲージであり、橋のようなもの」と話している。作品を通して人とつながるために、どこまで表現するか、しないのか。その塩梅を「作家活動を10年続ける中で、ようやく人の心に響く表現の境界線が掴めるようになった」という。

たとえば、本展でも展示される《わたしの旅のはじまりは、あなたの旅のはじまり》(2021)。二つの祖国を持つ落合と、革命後のルーマニアで落合を授かった母・落合由利子二人の物語を題材にした映像作品では、「作家の個人的な物語というウェットすぎるモチーフを、いかにドライに仕上げるか」が考えられている。
鑑賞者がそれぞれの記憶や感情と重ね合わせられるように、タイトル名や作品に添えた詩も、「わたし」と「あなた」をつなぐ役割を担う。そうして「作品が自分から離れ、みんなのものになっていく」のを実感しているという。
「わたしとは何か?」を決めるのは誰か
「女性とは何か?」「わたしとは何か?」という最初の話に戻る。
幼少期よりミックスルーツである自らの特異さを感じてきた彼女は、高校時代までは目立たぬように、周囲に溶け込むことを意識しながら生きてきた。しかしその価値観は、東京藝術大学の受験で一変する。志望した絵画科・油画専攻においては、デッサンなどの基礎がどんなに上手くても、個性を発揮できないと通用しないからだ。
自ずと「わたしとは何か?」という根源的な問いと対峙することになり、二つの祖国にルーツを持つ「“スクリプカリウ”落合安奈」という自己を受け入れるに至った。アイデンティティを決定する権利はその人にある。他者を自身の理想に押し込めようとしない、互いの個性を尊重する藝大の環境は心から深呼吸できる場所だったという。