吉川:確かに、このような地域コミュニティに根差した企業のM&A案件は、数字だけでなく、いかにステークホルダーからの信頼を勝ち取るかが成功の鍵を握ると言えますね。一方で、日本においては、多面的ステークホルダー戦略の認識は高まってきていると思いますか?
オノダ:日本では、依然としてコミュニケーションが伝統的なPRやマーケティングの一部と捉えられている印象があります。多くの企業は、外部への情報発信において日本語のコンテンツを直訳するだけで、海外のオーディエンスに響くコミュニケーションができていません。また、日本企業のトップ経営者は自ら対外的なコミュニケーションを行うことは少ないですし、あったとしても用意された無機質な台本を読むだけになりがちで、ステークホルダーとの効果的なコミュニケーションがとれていません。ステークホルダーから企業に対する自信と信頼を勝ち取るためには、企業のヴィジョン、目的、価値観に直結した「コーポレートナラティブ」、そして経営者個人のパーソナリティが滲み出るコミュニケーションが重要です。そのようなコミュニケーションができてない企業は、グローバルなステークホルダーから支持を得る機会をみすみす逃しているようなものです。これは非常にもったいない状況です。
先日の日本製鉄のUSスチールへの買収提案の一連の動きは、好ましくない事例の一つであると言えるでしょう。米国においては、この買収提案に対する世間からの支持が圧倒的に欠けていたように見受けられます。その結果、政治的な利権をもつ労働組合や政治家の動きにマイナスの影響を与えたのではないかと思います。メディアの報道も中立的で、好意的なものはほとんど見受けられませんでした。買収提案の初期の段階で、強力なステークホルダー向けのキャンペーンを積極的に実行していたとしたら、これらの多様なステークホルダーの認識が変わり、支持を勝ち得ることができたかもしれません。特に米国のように非常に政治的な環境においては、重要なステークホルダーから支持を得られるかどうかが、最終的にディールの成否に大きな影響を与えます。今後、多くの日本企業が海外の企業の買収を仕掛けていく上で、現地のステークホルダーをよく理解し、適切なエンゲージメント戦略を実行することは必須となります。


