一人で武道館に立った理由
──武道館では、広いステージにたった一人で「鍵盤」のみを用いて演奏されました。オーケストラやビッグバンドを呼ぶことも可能だったと思いますが、あえて「鍵盤」にフォーカスした理由は?
企画当初はオーケストラを入れたり、ゲストのミュージシャンを呼んだり、さまざまなアイデアはありました。
ただ、武道館公演の日は20代最後の誕生日だったので、節目の1日でもあって。これまでの集大成として、そして未来に向けた新たな1歩として、「ピアノリサイタル」を選びました。
──23年のForbes JAPANのインタビューで「ショパンの『Simplicity is the final achievement(シンプルさは最終的な目標である)』という言葉が好き」と話していました。武道館の演出にも、その美学が反映されているように感じました。
特に演出面に関してはいつも思っていることがあります。最も届けたいのは「音楽」なので、演出がそれを上回りたくはない、と。
ただ、音楽により入り込んでもらうための雰囲気作りとして照明は非常に活躍してくれるので、ミニマムでありながらも効果的に使うように心がけています。
──「鍵盤」を使ってどのような表現を追求していきたいですか?
どこかで鍵盤を離れるところもあるんじゃないかと思っています。それは弾かなくなるという意味ではなくて、さまざまな楽器の力を借りながら「表現を拡張していく」という方向性もあるのでは、と。
1周回って「グランドピアノだけで何ができるか」にもチャレンジしてみたいですね。ピアノはたった一人でもオーケストラの曲を演奏できる楽器ですから。
変わったのは、自分が弾く意味
──この3年で「変わった部分」はありますか。
純粋なクラシック作品を演奏するときでも、「これは自分だからこそ弾くべき曲だ」と思えるような自信が付き始めてきたことです。
「何千人、何万人も弾いてきたクラシックの曲を、自分がわざわざ弾く意味はあるのか?」という問いに対する答えが、少しずつ見えてきたように感じます。それは「自分ならこう表現できる」という内なる欲求……みたいなものかもしれません。

──今年11月には米ニューヨークのカーネギーホールでソロリサイタルが決まりました。どのようなテーマで演奏したいと考えていますか。
今まで自分が取り組んできたことのベスト版のようなコンサートになると思います。
武道館公演と同じくショパンの「スケルツォ 第1番」から始まり、前半は比較的トラディショナルに。後半はカプースチンの「8つの演奏会用エチュード」やラヴェルの「ボレロ」などの作品にアレンジや即興を交え、オリジナリティのある形で演奏する予定です。
演出に関しては、アップライトピアノを持ち込む予定なのと、照明も工夫してみようかなと思っています。カーネギーが「OK」って言うか、わからないけれど(笑)。
──今後「これだけは絶対に叶えたい」と思うことは?
「伝統を重んじたうえで、いかに新しいことをするか」ですね。それは常に大切にしていますし、これからも大切にし続けたい。「この人はどんなことをやってくれるんだろう?」ってワクワクしてもらえるように、好奇心の向くままに進み続けたいです。
具体的な野望を言うと、いつかピアノ協奏曲を自分で書いて、自分で演奏してみたいです。リサイタルでは幅広いラインナップで演奏できてはいるのですが、協奏曲は演奏会の中で1曲だけ演奏される場合がほとんどなので、自分のすべてを込めて、自分にできることをやりたい放題表現してみたい。そんな協奏曲があったら、楽しいんじゃないかなと思っています。