重慶人の店ということで、ここでもランチメニューにある水煮肉を注文した。水煮肉の豚肉はとろみをまぶしているので、柔らかく口当たりがいい。ライスにスープにザーサイ、とってつけたようなサラダと杏仁豆腐という定食メニューは、来日してから彼らが日本の町中華スタイルを採り入れたものだ。

中国にはこのような定食メニューは基本的にはないので、こうしてガチ中華のオーナーたちは日本化しながら商売してきたのである。
筆者は実を言えば、麻辣味はそれほど得意ではないので、微辣(ウェイラー=ちょい辛)でつくってもらったが、それでも顔中汗ぐっしょりになった。それは重慶人ならではのシャープな味つけだった。
筆者が重慶を訪ねた話をしているうちに、夫婦は若い頃、遼寧省の瀋陽や黒龍江省のハルビンで店をやっていて、2000年代の後半に来日したということも教えてくれた。
実は、重慶をはじめ四川の人たちの多くが、1990年代以降、中国の沿海地方や東北地方に出稼ぎに出た。その後、それらの一部の人たちが来日している。これは改革開放以降の内陸四川人の出稼ぎ人生を物語っている話とも言える。
彼らは東北地方に行ったことで、来日のきっかけを得たのだと思われる。というのも、彼らの人生は中国のどの地方に最初に行ったかで、その後の出稼ぎ先が決まることが多いからだ。東南アジアやオーストラリア、場合によっては、ヨーロッパにまで行く人たちもいる。どの土地が自分に合うかどうかを知ることもなく。
そんななか日本への出稼ぎ組は、中国籍住民の多い埼玉県の川口や蕨あたりで最初の店を始めるのはよくあるケースだ。ただしあの界隈は同類の店が多すぎて、過当競争になってしまいがちで、コロナ禍で苦しんだ「栄華飯店」の夫婦は、まだガチ系の店が少なかった志木に移ってきたのだと思われる。
食事をしていると、労務服姿の男性たちや地元の会社員、若者たちがどっと来店してきた。彼らは、やはり町中華風メニューを頼んでいた。日本の中華系飲食チェーンに比べ、ボリュームたっぷりで値段も手ごろなので、人気なのだろう。ここでもガチ中華店は町中華の代替役を果たしていることがわかる。
壁に貼られた料理写真から選べ
最後に紹介するのは、西武鉄道新宿線の武蔵関駅北口のすぐそばにある「翔ちゃん」だ。

なぜガチ中華なのに店名は「翔ちゃん」なのか。聞けば、家主である元とんかつ屋の、4人掛けのテーブル2つに座敷のテーブルが1つという小さな店舗を居抜きでそのまま使っているそうで、店名までそのまま踏襲しているという。こうした無頓着ぶりにも驚かされるのだが、実は店主で調理人の杜同泉さんは四川省成都出身なので、頼むと、本格的な四川家庭料理が味わえる。


とはいえ、そのようなガチな料理は、テーブルの上に置かれた一般の定食メニューには載っていない。では、どうやって注文するのか。それはこれまで紹介した2軒の私鉄沿線系同様に、店内の壁に貼られた料理写真から選べばいいのである。

