「手袋の町」と呼ばれる香川県東かがわ市。日本に出回る手袋の9割を開発・生産する地域で、創業70年の歴史をもつナイガイは、第一線で活躍するアスリートたちに提供するグローブをつくっている。その技術力は、どのように磨かれたのか。
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2023年3月、WORLD BASEBALL CLASSIC(WBC)の準決勝の舞台。メキシコと対戦した侍ジャパンは、3点ビハインドの7回、2死ランナー1、2塁という窮地にいた。そこでバッターボックスに立ったのは、4番ボストン・レッドソックスの吉田正尚。日本中の野球ファンが「負ければ敗退」と固唾を飲んで見守るなか、吉田が打った一発はライト方向へと大きく伸びた。チームを悲願の世界一へと導く同点3ラン。球場は熱狂に沸き立ち、チームメイトの大谷翔平や村上宗隆らも歓喜した。
世界を熱狂させる感動的シーンを裏方で支えるのが、香川県東かがわ市に拠点を置くナイガイだ。吉田選手が現在愛用しているバッティング用グローブをはじめ、名前は出せないが世界を熱狂させた大スター野球選手や、23年に23歳という史上3人目の若さで賞金王に輝いたプロゴルファーの中島啓太、その先輩の石川遼や上田桃子たち総勢64人のアスリートらにグローブを提供している。多いときには50ものパーツを組み合わせ、ミリ単位の調整を何度も重ねて試作を繰り返す。
ナイガイは創業70年を迎えた、手袋のODM、OEMの老舗メーカーだ。2年前に3代目社長に就任した田中康一はこう話す。
「手袋は縫製業ではあるが、製品はギア(道具)に近い。機能しなければ認められないので、高い専門性が必要です。私たちはパーツごとのパターン(型紙)データを20年以上、2万6500ぐらい蓄積している。どう調整したらフィット感が増すとか、この素材なら何ミリ詰めるべきとか、クライアントのコンセプトにある機能をうまく再現するにはこの構造がいいといったノウハウがある。それを3次元のパターンに確実に落とし込めるデザイン力が強みです」
現在、ナイガイが手がける製品のうち、売り上げの約60%を占めるのが、ゴルフ用のグローブだ。続く約20%を野球のバッティンググローブ、残りを乗馬用などが占める。2024年1月期の売り上げは43億円。開発と試作品は香川の本社で行い、製造はスリランカやミャンマーの自社工場など海外に集約。年間700スタイルの手袋を製造し、世界25カ国に出荷するグローバル企業だ。
「究極にして至高の手袋」を目指す
創業は1954年。最初は手袋だけでなく衣料やカバンなどの革製品を扱う事業として、田中の祖父がスタートさせた。現会長で田中の父・田中康則に代替わりすると、手袋のみに注力。ファッション防寒用(ドレス手袋)をはじめ、乗馬やスキーといったスポーツ手袋のカテゴリーも徐々に拡大。1980年代にはアメリカやヨーロッパの企業を主な取引先に、台湾の高雄に最初の海外工場を構えた。康則は客先、工場、材料屋と世界を飛び回り、羊の皮を求めてエチオピアに6回出張したこともある。日本がバブル期に突入すると、スキーやスノーボード用の需要が激増。「広瀬香美が『絶好調〜』と歌っていたころがいちばんのピークだった」が、季節ものに頼りすぎて、年間の売り上げが立ちにくいことが課題だった。