センチネル族についての知見のほとんどは、1人の研究者がもたらした
インドの人類学者トリロクナス・パンディットは、地球上で最後の未接触部族の1つであるセンチネル族の研究を長年にわたって続けてきた。彼が最初に北センチネル島の調査に赴いたのは1967年で、ここからセンチネル族の生活様式を慎重に観察する一連の試みがスタートした。当時、センチネル族についての知見は乏しく、よそ者を激しく拒絶するという報告くらいしかなかった。パンディットと彼の研究チームは数十年にわたり、島の沿岸に注意深く接近し、ココナッツ、バナナ、金属製の道具などの小さな贈り物を残して、彼らとの信頼構築に努めた。センチネル族の反応は予測不能だった。時にはチームが去ったあと、贈り物を受け取った。だが、木陰から矢を放ち、退避せよと明確な警告を発することもあった。
そして1991年1月4日、予想外のことが起こった。センチネル族の集団がジャングルから歩み出て、海に入ったのだ──しかも丸腰で。彼らはこのとき初めて、パンディットのチームから直接ココナッツを受け取った。宝物をもらったかのように、大事そうに腕に抱える人もいた。
しかし、穏やかな時間はすぐに幕を閉じた。
BBCの取材に対し、パンディットはこう回想した。「ココナッツを渡している間に、私はチームメンバーから少し離れ、浜辺に近づいてしまいました。すると、センチネル族の少年の1人が奇妙な表情を浮かべ、ナイフを取り出して、私に首をはねる仕草をしてみせたのです。私はすぐにボートに呼びかけて、そそくさと撤退しました。少年のジェスチャーの意味は重大でした。彼は私が歓迎されていないことを、はっきりと伝えたのです」
その後の遭遇では、部族は再び防御的な態度に戻り、矢を放って部外者を遠ざけた。パンディットはこれを敵意ではなく、自衛のために必要な行為と考えている。過去のよそ者との衝突によって形成された反応なのだ、と。
センチネル族について現在知られていることのほとんど(外見、使う道具、行動の一端など)は、パンディットのフィールドワークの賜物だ。彼の観察記録はのちに、インド国立人類学研究所の報告書としてまとめられた。しかし、パンディットの多大な努力にもかかわらず、センチネル族はいまだ大いなる謎だ。彼らの言語は未分類で、慣習は未知であり、生活様式は数千年前からほとんど変わっていない。
そして、彼らはそのままでいることを望んでいる。インド政府もこれに同意しているようだ。2010年にアンダマン・ニコバル諸島(先住部族保護)法が改正され、規制はさらに強化された。すべては、センチネル族の暮らしを外部の撹乱から守り続けるためだ。
(forbes.com 原文)