チャウは、すでに2度上陸に挑んでいた。前日の朝、彼は小屋に近づき、英語で呼びかけて接触を試みた。センチネル族たちは猛然と彼を追い払い、海岸から怒号を投げかけた。同日午後、彼は2度目の挑戦に出た。しかし1人の少年が彼に矢を放ち、防水加工の聖書に当たった。チャウは撤退するしかなかった。彼は震え上がったが、諦めてはいなかった。
そして翌日、チャウは3度目の賭けに出た。彼を島まで連れてきた漁師は、不安を覚えつつ遠くから見守った。連れてきたことは違法行為だったが、漁師は2万5000ルピー(約4万4000円)で引き受けていた。インド政府は1956年以降、外部の人々と先住部族の両方を守るため、接触を全面禁止していた。
しかし、チャウの決意は固かった。彼は島に足を踏み入れた。
数分後、木陰から人々が現れた。漁師の目の前で、チャウの遺体は浜辺を引きずられ、砂に埋められた。
北センチネル島への立入禁止は、部外者の安全だけが理由ではない
チャウは、伝道という使命感に駆られただけで、おそらくセンチネル族を傷つける意図はなかったのだろう。しかし、彼は部族の存続に関わる決定的な要素を見落としていた。人類学者の推測では、北センチネル島の住民たちは数万年にわたり、ほぼ完全な孤立状態で生活を続けている。長きにわたる孤立により、センチネル族は、外の世界ではありふれた多くの病原体にさらされた経験がない。彼らの免疫系は、これらが引き起こす病気に対する備えがないため、部外者が意図せず持ち込む病気に対して極めて脆弱だ。
ほかの孤立部族の事例から、外部との接触は孤立部族にとって、存続に関わる重大な脅威であることがわかっている。
1980年代前半、石油試掘チームがペルーの熱帯雨林に分け入った。彼らが持ち込んだのは採掘機械だけではなかった。数カ月のうちに、それまで未接触だったナウア族の半数以上が死亡した。免疫系が経験したことのない病気に感染したせいで、大勢が命を落としたのだ。
10年後の1990年代半ばにも、歴史は繰り返された。マホガニー材を狙う違法伐採者たちが、同じくペルーのムルナウア族の人々に接触を強いたのだ。結果は? またしても病気の流行、強制移住、死だった。かつて栄えていたコミュニティは、外の世界から持ち込まれた感染症により崩壊した。