実際、移川さんによれば「3分の2くらいの人は、日本に行ったことがあるか、これから旅したいと思っている人」です。KonMIDOはこれまでの経験に基づいたテクニックを統合しているものですが、「最大の目的はウエルネスであり、それを追求することにより、結果として顔に美が表れてくる」という彼女の考え方が評判となって、いわば「ご指名」のようにKonMIDOにたどり着くのです。
ローカリゼーションは必須?
「(移川)ミドリの日本」が信頼され、評価されている。ただ、だからといって移川さんは和装姿でインスタに投稿しません。ぼくは、このセンスが良いのだと思いました。
ぼくはローカリゼーション戦略に長く関わってきましたが、移川さんの事例はローカリゼーションであるようでいてそうではない、と思いました。およそローカリゼーションは文化を分析的に解読することにウエイトがおかれます。下手するとステレオタイプの融合になります。それゆえ往々にしてローカライズされたものは面白みに欠けると言われることがあります。
現在、冒頭のような日本文化に追い風が吹くなか、「ローカライズが必須ではなく、日本のそのままを外に出した方が受ける時代になってきた」という声が出ています。しかし、それは外国人に「発見された」場合です。その場合は理解の手がかりがなくて良いだけでなく、その方が受け手は嬉しいのです。発信者がすべきなのは「発見されやすい」条件をセットすることです。
これまでローカリゼーションをできるだけ避けようとしてきたラグジュアリー領域の潮流と似ています。ラグジュアリー分野で仕事をしてきた移川さんは発見される術を心得ているからこそ、インスタの「日本文化露出度」が程よいのではないか? 前澤さんも、異文化理解には関心が深く、日本文化の見せ方についていろいろと思うところがあるでしょう。如何ですか?