以下は、料理家の坂口優子氏による寄稿である。
衝撃を受けた、『生まれた時からアルデンテ』
私は昨年の春、法政大学文学部(通信教育課程)日本文学科の1年生となりました。
料理家として20年以上。常に仕事をしているので決して退屈ではないはずの毎日。ただ今の私は、「過去の知識と経験」と少しのひらめきで仕事をしているな、この延長線上では伸びないなと気づいてしまい、これではこのまま過ぎゆく後半の人生が勿体ないと焦る始末。もっと料理を通してクリエイティブでありたい。そして、これまで漠然と思い描いていた「書く仕事」をしてみたいという気持ち、フードエッセイやフードライターなど、料理から派生した違う分野に今こそ挑戦してみよう!と思いたちました。
「書く仕事」をしてみたいという気持ちの後押しになった1冊の本があります。フードエッセイストの平野紗希子氏の、『生まれた時からアルデンテ』です。
これは平野氏が23歳の時に書いた10年前のエッセイ本(2022年に文藝春秋 から文庫化)。平野さんにとっては生まれた時からパスタはアルデンテだったんだ!(若い!)とまずは驚き、ついで、こんなにも惹きつけられるタイトルをつける感性に強く衝撃を受けました。
365日食のことを考えている「食のしもべ」と自分を表現する平野氏の味の言語化、料理に対する独特の視点、「味に表情がある学食のカレー」や、「人の家の麦茶は不気味」という独特の表現力にただただ飲み込まれました。「私はいつだって感動を食べて生きていきたい。それを見過ごさない人でありたい」という彼女の信念と教養がこういう言葉を紡ぐのかと強く胸を打たれたあの気持ちが今の私の原動力でもあります。
社会人向けリカレント教育を選ばなかった理由
最近、「リカレント教育」がよく言われます。リカレント(recurrent)という言葉が示す「循環する」「再発する」のとおり、学校教育から離れた後も、生涯にわたって学び続けることを意味することが多いでしょう。社会人向けの〇〇講座や、専門の資格を取得することに特化した専門学校など、「再び学ぶ」方法は多数。
でも、私の場合はライター講座など「書くこと」を学ぶ上での多くの選択肢の中から、あえて「大学」を選びました。
なぜか。それは、一つの専門分野を集中して学び、技術を磨くのではなく、冒頭のとおり、広い視野で学び直しをしたい、そして確実にこなさないと得られないゴール(単位)の設定によって、自分に負荷をかけて挑みたいという思いからきたものでした。
広い視野という面でいえば、学校を卒業してはるかな年月を経てまた学ぶ「一般教養」の授業や、書くということだけでなく、「文学」の奥深さ(読み解く、紐解く)など、目指す仕事に直接結び付かずとも、過去に書かれた価値の高い作品を深く読む、それについてよく学ぶことによって、学習者の人間的厚みが増す、と思えることがあります。
きっと若い頃だと単位のために必死で暗記して、試験が終わったらさらりと忘れるような内容が、大人の今では「これぞ教養」と深く身に入れたくなりました。子供の頃、遠足で大仏を見に行かされても大してピンとこなかったのに、大人になって自ら出向き、歴史や文化を触れたくなるような感覚に近いものです。
ただし、124単位(学部や3年次編入等で単位数は変わる)取得というのは決して容易いものではありません。仕事や家事等と並行しての学びは想像以上に大変でもあり、落ちゆく記憶力低下問題もクリアしなければなりません。



