イ・セヨンは高校3年のときにクイズ番組で獲得した賞金でイベントを創設したり、その副賞で行った米国での経験に感化されて論文検索サイトを開発したりするなど、アイデアマンでありながら、行動力も極めて高い起業家だ。
彼が立ち上げたリートンテクノロジーズは、米オープンAIの対話型AIチャットボット「チャットGPT」に先だって生成AIサービスを始めるなど、韓国のAI業界をリードしてきた。同社が目指す「アジア最高のAIスーパーアプリ」とは。
米国の生成AI(人工知能)企業オープンAIが、初めてチャットGPTを世に公開したのは2022年11月のこと。チャットGPTが公開されるとすぐに、AI革命だ、AIは世の中を変えるゲームチェンジャーだといわれ始めた。チャットGPTを起点に、テキストやイメージ、音楽や文学作品等を創作する生成AIサービスやツールが登場し始め、人々は「○○を教えて、○○を描いて」というような対話やAIが生み出す成果物にすぐになじんだ。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツは「チャットGPTはインターネットと同じくらい重大な発明だ」「AIは我々の世の中を変えるものだ」と断言した。
20年末、韓国のスタートアップであるリートンテクノロジーズも、オープンAIの技術に注目していた。同社のイ・セヨン代表は言う。
「私たちは韓国で最も早く、生成AIで人の役に立つプラットホームをつくろうと考えました。運よく初期メンバーのひとりが、大学院でGPTモデルを研究中でした。非常に初期のモデルでしたが、サービスを開発していくうちに、今後生成AIは莫大な研究や投資がなされ、電気やインターネットのように全世界に広がるはずだと確信するようになりました」
15年設立のオープンAIは、18年に最初の大規模言語モデル(LLM)の生成AI、GPT-1を発表。20年当時はGPT-3に対するクローズドベータテストを進行中だった。それは特定の資格と審査を経た場合にのみ参加資格を与えられるテストだったが、リートンが提示した技術運用の青写真を見たオープンAIは、すぐさまアクセス権を付与してくれた。アクセス権を得たのは、韓国のAI企業ではリートン1社だけだった。
イ・セヨンの大学での専攻は文献情報学だ。典型的な文系人間である彼がAIにのめり込んだ原点は、高校時代にあるという。
高校3年だった14年、イ・セヨンは学生を主体とした学術交流イベント「韓国青少年学術会議(KSCY)」を初めて開催した。
「クイズ番組に出て最後まで勝ち残ったんです。その賞金300万ウォンをはたいてKSCYの最初の大会を開きました。13年の冬に副賞で米国への短期研修に行き、現地の青年たちが自分の考えを存分に話したりエッセイを書いたりする姿に驚かされ、うらやましく感じて、自分たちもこんな経験ができたらと思ったのがきっかけです」
KSCYは、初年度は参加者30人で出発し、翌年の参加者は300人、さらに翌年には3000人と膨れ上がり、いつのまにか同種のものではアジア最大のイベントとなった。
全国から志を同じくする20人余りが集まって協力してくれた。数万件の論文を簡単に検索し、探すことができる検索サイトの開発にも成功。イ・セヨンは、大会運営と検索サイト開発をサポートしてくれた延世大学の教授の影響で、大学の専攻に文献情報学を選んだ。
ピンチは突然訪れた。20年2月、韓国でコロナ感染者が確認された。すでに大会の開催準備は終わっていたが、延世大学松島キャンパスでの合宿は延期となり、韓国国内はもちろん世界各地から参加予定だった学生の訪問も不透明となった。世界的大混乱の余波はイ・セヨンにも襲いかかった。