1.「これが私という人間なんだ」
パートナーから批判や率直なフィードバックを受けたとき、多少防衛的になるのは自然なことだ。誰しも自分の過ちや、人を傷つけたことを指摘されるのはつらい。衝突の真っ只中なら、なおさら抵抗を感じるだろう。しかし、一部の人がよく使うが非常に有害なのは「これが私という人間なんだ(This is just who I am)」という言葉で会話を打ち切る対応だ。たとえば、パートナーが「友人の前で皮肉交じりの冗談を言われると傷つく」と訴えたとしよう。本来であれば相手の感情を振り返り、自分の行動をどう改めるか考えるところを「これが私という人間なんだ。付き合う前からわかっていたはずだろ」と返してしまうかもしれない。たとえ機知に富んだ、あるいは皮肉めいたユーモアが自分の持ち味であったとしても、その返し方とそこに表れる姿勢はいただけない。
この言葉が問題なのは、関係を行き詰まらせる性質しか持たないからだ。パートナーの感情をまるで考慮せず、同時に成長や妥協の意志を示さない発言と受け取られる。1994年の『Journal of Marriage and Family』の古典的な研究が示唆するように、成功し長続きする関係には、飽くなき柔軟性と、対立を個人的にも協力的にも乗り越えようとする意思が必要なのだ。
ところが一方が自分の影響を認めようとしない場合、フラストレーションと感情的距離が避けられなくなる。片方は傷ついた気持ちを率直に打ち明けているのに、もう片方は根本の原因を完全に否定していることになる。「これが私という人間なんだ」という言葉は、そもそも行動を変えうる可能性や、それが有害になり得る事実を否定してしまう。さらには、パートナーに対して「受け入れるか、さもなくば諦めるか」を迫るかたちになり、相手を一層苦しめるだろう。
一方、健康的なカップルは互いの感情を認め合い、ともに解決策を探ることに抵抗がない。「最初からわかっていたはずだろう」と即座に開き直るのではなく、相手の気持ちをまず受け止める。深刻な対立はもちろん、わずかなジョークが裏目に出た程度の話であっても、言葉遣いは常に慎重で建設的だ。
自分自身の態度を顧みた上で「冗談で傷つけていたなんて思いもしなかったよ。そんなつもりはなかったし、今後はもっと気をつけるよ」 といったように答える。自らの非を認め、何よりパートナーの心情を大切に扱う姿勢を示すのだ。