⑤KEYWORDS|EXTENDED SELF

中山淳雄|エンタメ社会学者
リーダーが身につけたい拡張自我としての「推し」
「拡張自我」というと、ガジェットやロボティクス、はたまた衣装やアクセサリーなど、物理的なものを装備することで実現するというイメージが一般的ではないか。ただ、テクノロジーの進化によってあらゆるものが装備化できる時代、自我の拡張にはどのような変化が起こるのか。「他人の物語を借りてヒーローストーリーに没入する『推し』は、2次元/3次元を問わず、拡張自我になりえます」。中山淳雄はこう述べる。拡張自我としての「推し」は、日常性を一気に非日常にさせるスイッチとしての機能があるのだろう。
「江戸時代の『ええじゃないか』もそうですよね。半歩、現実から離れられるグッズを身につけて、逃れようのない息苦しさとうまくやれるすべを身につける。これは現代の『推し活』のひとつの側面だと思います」
これに近いのが、日本の伝統的な世界観のひとつ「ハレとケ」だ。柳田國男によって見いだされたこの概念は、ハレという「非日常」とケという「日常」によって、私たちの生活を区別した。この両極があるからこそ、人々はその間を行き来しながら、日々にメリハリをもたせ、何事もない日常に楽しみを見いだし、過ごすことができるようになった。
「推し」には、「推し」のようになりたいという、憧れのイメージを自身にまとわせるという拡張要素もある。また、いちファンから「推す」対象への一方的なベクトルだけではなく、「他人にも薦めたい」という動的なベクトルの増幅において、自身の「推し」を中心とした環世界の広がりという拡張の可能性も含んでいる。
では、ディシジョンメーカーやリーダーがその「推し」の役割を担い、人々の拡張性に寄与することができないか、中山に聞いてみた。
「ヒーローの姿はその時代を表しているんです。例えば、1980年代を代表する『ドラゴンボール』。孫悟空は自身を鍛え続けて、最後はひとりの力で勝ち抜いた。そして、2000年代になり『ワンピース』時代に突入した。みんなで仲間になるというヒーローの生き方です。そして、20年代には、敵を倒すよりも愛をもってコミュニティを守ることを大事にした『鬼滅の刃』の竈門炭治郎が支持されました」
では今、給与でもなく会社のブランドでもなく、「この人なら推せる」と個々を拡張させるようなヒーローになるために、現代のリーダーには何が必要なのか。
「ひとつはインタラクティブ性です」と中山は言う。「推し」はインキュベートするという要素が大事だからだ。自身が育てた、または自らの頑張りが寄与した、そんな満足感を醸成できるかどうかだ。つまり、「自分」という等身大でいることも魅力につながる。そのために、会社にとって必要で自身にはないピースがあるなら、ほかの人で補い、例えば取締役会を「推し」の宝庫にする。「時代は『箱推し』ですから」と中山は説明する。
しかし、通常の推し活のようにあちこちに気がいってしまったり、飽きられたりしてしまわないだろうか。
「日本は長いものへのリスペクトが根底にあるから、比較的推しのサイクルが長寿化しやすいんです。また、他国に比べて日本は常に成長中であることが多い。だから飽きられない」
時代を鑑み、臨機応変に対応しながら、従業員やユーザーの力を借り、ともに進化し続ける。そんな日本が得意とする道を進んでいけば、誰もが誰かの「推し」になれるのかもしれない。
時代の変化は、あたかも台風の目のように、ただなかにいる人間には気づけない。歴史が積み重ねられ、その転換点を未来から振り返って、はじめて理解することも少なくない。未来は今ここにすでに存在している。その未来への兆しは、ここで識者たちが語ってくれたように、時代や世間が築き上げたさまざまなノイズを取り去り、本来の自分に戻れたなら、簡単に見つけられるはずだ。