ジェレミー・オブライエン
オブライエンが量子コンピュータの分野に足を踏み入れたのは1995年、西オーストラリア大学で物理学を学ぶ19歳の学部生だったときだ。彼はあるとき、ニューサイエンティスト誌の1年前の号を手に取った。「そこには、量子力学が奇抜で変わっていて素晴らしいだけでなく、この分野をマスターして量子コンピュータを開発すれば、計り知れないほど複雑な計算が可能になるということが説明されていました」
サイクオンタムの研究施設がある英国ウォリントンからのビデオ取材で、オブライエンは言った。
「それ以来、すっかりとりこになってしまったというわけです」
オブライエンは、シドニーにあるニューサウスウェールズ大学の博士課程に進んだ。指導教官のひとりに、シリコン・マイクロチップ内に1つのリン原子を組み込んで量子コンピュータをつくるというアイデアを思いついたブルース・ケインがいた。オブライエンはその後5年をかけてそのアイデアに取り組んだが「ちょっとした危機的状況」に陥ったと話す。
「このテクノロジーが実際にインパクトをもたらすためには100万量子ビットが必要でしたが、それを実現する方法がどうしてもわからなかったのです」
量子ビットとは、量子コンピューティングにおける情報の基本単位のことだ。
ちょうどそのころ、クイーンズランド大学のチームが米国にいる仲間と共に光の粒子であるフォトン(光子)を量子ビットとして使う方法を発見した。「クイーンズランド大学のアンドリュー・ホワイト教授がフォトンを用いた研究にとりかかっていたので、ポスドクとして研究室に入れてもらいました。当時の私は、レーザー光線がどちら側から出ているかもわかっていませんでしたが」(オブライエン)
ホワイトとオブライエン、そしてほかの3人は共同研究の結果、幅3mのベンチに固定された鏡とビーム・スプリッターを使って量子のもつれをつくることに成功し、03年のネイチャー誌に論文を掲載した。彼らはそれまでに、巨大なトランジスタに似た量子論理ゲートを完成させていた。問題は、それをいかにして100万量子ビットの実現につなげるかを解明できていないことだった。オブライエンは、シリコンを光学アプローチと組み合わせることはできないかと考えた。量子のことを理解していて、チップを設計でき、実際につくれる人物が必要だった。
ホワイト教授がブリストル大学の量子フォトニクスセンターの求人情報をオブライエンのデスクに投げてよこしたのは、ちょうどそのタイミングだった。
「その日のうちに応募しました」(オブライエン)ブリストル大学には、彼が必要とするコンポーネントをつくる環境が備っていた。


