高校時代の南方には、はじけるような冒険者のスピリットと、無限にも思える行動力があった。しかし卒業からわずか半年あまりで身についた落ち着きと孤独を託っているようにも見える佇まいからは、仲間と離れ離れになったことから学んだ成長の跡のようなものが窺える。
それは、彼の行動様式の変化にも顕れている。従前のゾンビーズ・シリーズのセールスポイントの1つは、ミステリでいうケイパー(襲撃)小説の痛快さにも似た、難攻不落の敵地に潜入し、ミッションを達成する面白さと、そこに知恵と体力の限りを尽くして挑んでいく南方と仲間たちの胸をすくような活躍にあった。
しかし、本作の南方は、当初こそ慎重だが、一旦心を決めると本能にスイッチが入り、鋭敏な嗅覚を働かせつつ、消えた男の痕跡をたどり始める。まるで、難事件が舞い込んできた私立探偵のように。
胸が高鳴る暗示的ラストシーン
以前、ゾンビーズ・シリーズの『レヴォリューション NO.3』の中の1編「異教徒たちの踊り」のなかで、作者は、主人公に「僕はハードボイルド小説の愛読者なんです。犯人を捜す方法は知ってます」と云わせているが、本作でのハードボイルド・ミステリへの強い意識は、エピグラフに『地に呪われたる者』の作者とともに、レイモンド・チャンドラーの引用を掲げていることからも明らかだろう。そもそも行方不明の人捜しはハードボイルド・ミステリが得意とするテーマの1つだが、女性に気取らせないさりげない騎士道精神も、成長した南方によく似合う。南方がキーパーソンの1人である志田に優しさについて説くくだりや、ペシミスティックな余韻を残す幕切れまでもが、正統派ハードボイルドの名に恥じない格調を湛えている。
1人になった南方が何をなしえるかという課題に対し、ハードボイルド・ミステリへの転調で挑んだ試みは、見事に成功したといえるだろう。
今回の『友が、消えた』の執筆までには、前作から10年以上の歳月が流れ、時代も平成から令和へと移り変わった。時とともにさまざまな変化が押し寄せたが、その1つに正義の在り処があるのではないかと思う。
昨今、何が正しいかの境界線が曖昧になり、世間を惑わせるケースが増えている。多くの人々が是非の判断を迷い、それを誤ったがために社会問題となるケースも珍しくない。
作者が、主人公を行動重視の冒険者から、真実探究のためには思索も重んじねばならない探偵役へとシフトさせたことも、そんな世の中の風潮と無関係ではないのではないか。
物語が始まり、わずか5ページ目に、主人公は心の中で「祭りの日々は終わったのだ」と呟く。確かに、彼の人生でもっとも可能性に溢れ、無敵でもあった時期は、高校卒業とともに終わりを告げたかもしれない。
しかし、それでも人生は続く。成長を遂げた主人公が、自分のこれからを見出したことを暗示するラストシーンに、胸が高鳴る。南方の次の活躍が待ち遠しい。
連載:ウィークエンド読書、この一冊!
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