人生において、外部の出来事や状況が私たちの進む道を定めるように思えることは多い。政治状況の変化、市場の下落、組織のリストラ、個人的な不運は、乗り越えようがないように思える。そして、「なぜ自分なんだ」「これからどうすればいいんだ」と思う気持ちにとらわれそうになる。
外部要因を指さして、「こんなのは不公平だ」「でも、他に選択肢がなかった」と言うのはたやすい。そうした気持ちはわかるが、私たちの物語をそこで終えるわけにはいかない。
最近、筆者は行動デザイナーでコンサルタントのエイミー・ヴェストと話す機会があった。その会話のなかで思い出したことがある。「私たちの物語を形づくる力は、私たちが直面する状況ではなく、私たちがそれにどう対処するかを選択することのなかにある」ということだ。
私たちが、他責や絶望にとどまることをやめ、「自分の物語を所有すること」を追求するとき、私たちは自分の人生のコントロールを取り戻し、パーパス(人生の目的)、レジリエンス(回復力)、希望に基づいて物語を紡ぎ出すようになる。
絶望の「誘惑」
絶望は、単なる楽観の欠如ではなく、行為主体性が欠如した状態だ。状況を変える力が自分にはないと感じると、無気力の悪循環に陥りやすくなる。だが、外部の力がどれだけ圧倒的であっても、私たちはいつでも、自分の反応については選ぶことができる。
ホロコースト生還者で著名な精神科医のヴィクトール・フランクルは、著書『夜と霧』(邦訳:みすず書房)のなかで、こうした概念を雄弁に描き出した。「もはや状況を変えられないとき、私たちは自分を変えることを迫られる」
外部の圧力から、内部のエンパワーメントへの切り替えは、変化の始まりだ。私たちは、絶望に屈するのではなく、自分の力を所有して物語を書き換えることを選ぶことができる。そうすることで、何より求めていた希望の光が見えてくる。
パデュー大学で工学・テクノロジーリーダーシップを研究するスコット・ハッチソン教授は最近、希望を培う人は、「逆境にうまく対処する備えがあり、現在のストレス要因ではなく、達成可能な目標の方に注目する」と述べた。つまり希望とは、ただ気分をよくしてくれるだけでなく、戦略的優位をもたらすものなのだ。