また、ラグジュアリーを定義するのはヨーロッパであり、中国や石油産油国といった国々でもステータスシンボルとして通じるかどうかがカギになってきます。
日本でも素晴らしい製品が多くつくられ、クオリティの高いものを好む人は日本製品を好んでいます。ウイスキーの山崎や時計のグランドセイコーは世界的に人気です。ただ、ラグジュアリーだと思われてるかどうか少し難しいところです。やはりグランドセイコーは今のところ、時計マニアやメンズウェア好きから人気があるというシンボルにとどまっています。
つまり、センスがいい人が日本のブランドを好きになったものの、現代はセンスがいい人=ハイステータスではないのが現状という問題があります。日本からラグジュアリーブランドが生まれないのは、日本のブランドやプロダクトのせいではなく、現在はラグジュアリーの定義が一目見れば「お金持ちだ」とわかるかどうかにあるからと言えます。

武田:このままでは、文化はあれど文化革新が起きにくいという時代に突入するのでしょうか。
マークス:すでに世界的に新しいものが生まれていないという問題があります。近年ヒットする映画はシリーズ作品や子供向け作品ばかり。数値化された世界によって、「売れたものがいいものだ」という考えが浸透してしまっています。
音楽においても、「ポップスターの曲が売れている以上、文化的にも重要である」という、音楽のクオリティではなく売れているかを重視するPoptimism(ポップティズム)という現象が見受けられます。
武田:アメリカの音楽評論家たちも経済資本の考えに流されてしまっていると。
マークス:すでにテイラー・スウィフトが最も売れているスターだから、最も注目されるべきだと考えられてしまっています。これは、多くの人が好んでいるから価値があるという民主主義にもつながる考えです。テイラー・スウィフトが音楽的に革新的かどうかは関係なく、彼女が売れているから尊敬しなければいけないと、現代のポップカルチャーは選挙のようになっています。
武田:文化革新が生まれにくい傾向がどんどん推し進められてしまっていますね。
マークス:革新も不可能ではなく、テイラー・スウィフトによってであれば起き得ます。その状況でできることは、ただ待つことになってしまいますが。
武田:文化資本がつくられにくい理由のひとつと言えそうです。
マークス:1990年代が文化的な天国だったと言いたくありませんが、当時は売れなくても自分たちのつくりたいものをつくる人たちが多くいました。それが現代は、SNSの収益化に代表されるように、大衆受けを狙ったビジネスありきの考えが主流となっています。
美術史を読むと、かつての芸術家は革命的なことへの思いが強かったとわかります。例えばマルセル・デュシャンはパブロ・ピカソの作品を無価値にするようなことをやりたがっていたように思います。


