マークス:はい。また、シグナリングコストにも、経済的コストであるお金、時間、情報へのアクセス、文化的コストであるセンスなど様々な種類があります。なかでも“センス”は、周囲には理解できない独特の世界観や美学によって人との差をつけるもので、要するに文化でステータスシンボルをつくることができます。
実際、これまでも文化革新の多くは芸術家やサブカルチャー、カウンターカルチャーなど、お金がなくてもセンスがあるところから生まれています。
シグナリングコストに経済的コストや文化的コストがあるように、ステータスにも実は経済資本と文化資本の2パターンがあります。以前であれば、お金を持っていても、クラシック音楽やオペラの世界を知らなければ見下されることもあったほどで、双方備えていなければなりませんでした。ところが、現代は経済資本だけの世界になりつつあります。
武田:文化資本も突然失われたわけではないと思います。何かきっかけはあったのでしょうか。
マークス:インターネットの出現ですね。シグナリングコストの一つである情報へのアクセスの価値が下がり、誰でも数分で専門家レベルの情報を得られるようになりました。ただ、以前の情報の障壁がある状態がよかったわけではありません。武田:かつては「本を買えない」「学校に行けない」といった障壁があり、インターネットにはそれらを打ち破るポジティブな影響もあったものの、情報に簡単にアクセスできるが故に情報を持っているという文化的意味はなくなったと。
マークス:そうですね。昔の知る人ぞ知るレストランは、今や誰もが知るものとなりました。流行のサイクルが早くなり、流行する価値もなくなっています。
またインターネットによって価格や再生回数、フォロワー数などすべてが数値化されたことで、数字の低いものは劣っていると捉えられるようにもなりました。かつては誰も知らないものに価値があり、不人気がオシャレだったとすら言えます。ところが今の数値化された世界では、インディーズはただの劣ったものと見られています。
武田:経済資本の世界に染まってしまった今、ラグジュアリーとして生き残っているブランドはあるのでしょうか。
マークス:かつてのラグジュアリーグッズとは、貴族のような大金持ちの特別な習慣に必要とされるものでした。アフリカの旅のためにつくられたルイ・ヴィトンのトランク、エルメスの馬具、ダンヒルのパイプなどがその代表例です。
ところが、1970年代にはパリにしか店舗を構えていなかったルイ・ヴィトンも世界中に店舗を構え、今では完全にマスマーケットのグッズに変化しています。その過程においては、日本の影響も大きくありました。
武田:ちなみに日本からラグジュアリーのブランドが出てくる可能性はあるのでしょうか。


