「修理の美学」からものづくりの蜜を味わう
どうすると四井さんのような実践家が生まれるのか。彼にその原点を聞いてみると、「バイクをいじりながら、ものが動く原理にハマっていった」と学生時代の思い出を語ってくれ、「なるほど」と思った。「新しくつくる」ことからではなく、「直す」ことからものづくりの蜜を味わうというのは、多くの人が通っていないルートかもしれない。
説明書や動画解説が付属した実験キットにも意味はあると思うが、そういった教材は誰でもかならず「できる」ことをゴールにつくられている。だからできて当然、もしできなければ自信を失ってしまう。一方で始めから壊れているものは、説明書でも直せなかったから壊れているわけで、それを自分の手で動く状態にできたとき、何倍も大きい喜びが訪れるのは想像にたやすい。先人が生み出したプロダクトを通してものの構造を理解することで、新しいアイデアが生まれる基盤もできるだろう。
ここまできて、現代の教育のことが気掛かりになってくる。「技術」の教育では、基本的な道具の使い方を学ぶことができるが、その多くが短時間で全員がゴールに辿り着ける設計になっていて、難所を乗り越える喜びが得られるつくりになっていない。「修理」が新しい義務教育の課程として設定されれば、人生と地球を同時に豊かにしていくポテンシャルが期待できるのではないだろうか。
ものの寿命を引き伸ばすこと
自分で直したものには、愛着がわくことも大いに想像できる。壊れないようにつかったり、壊れてもまた直したり。そうやってものの寿命が伸びていくことは、リユースやリサイクルと同様、場合によってはそれ以上の環境インパクトを導く。
ここで2つ、四井さん宅で見つけた事例を紹介したい。
ひとつめは古い治療機械。元値は10万円以上するビンテージを、ジャンク品として数千円で購入したそうだ。電源ユニットのみ交換することで、元通り動くようになったという。ちょっとした修理だけで経済価値が何倍にも回復したことになり、リペアの価値は大きい。(実用はしていないそうだが、とてもかっこいい!)
ふたつめがドライヤーのようなデバイス。これは5ワットで微弱な送風をしてくれるブロワーだが、古いボイラーの部品に金属を組み合わせてカスタムされた一品だ。かまどの火をベストな状態に保つために最適な機能が、DIYによって生み出されていた。使わなくなったボイラーがリクラフトされて、新たな価値を産んでいる例だ。これを使用したかまどで炊いたごはんは、驚くほどうまく、しかも炊飯器より早く炊けた。
かつて1970年代にローマクラブが「成長の限界」について警鐘をならした時から、ものの寿命を伸ばすことは人類の課題として強調されてきたが、環境の観点だけでなく、人生をより楽しむ手段として修理の基礎を学ぶ重要性を感じる。「リペア」と「リクラフト」この2つは間違いなく今後の社会において焦点が当たるキーワードになるだろう。
たのしくそれらを極めていくためには、どんな教育が必要か、どんな公共財が必要か、どんなコンテンツが必要か。官民学の垣根を超えて模索してみたい。


