帽子から読みとるメッセージ
このように、メラニア氏の帽子は単なる装飾品を超えた意味を持っていた。顔を半分隠すことで神秘性や距離感を生み出し、彼女のスタイルが意図的なメッセージの一部として機能していることを示していた。「私はここにいるが、すべてを見せる必要はない」という意志である。賛否両論あるメラニア氏だが、筆者は今回の大統領就任式のこのプレゼンスを終始見ていて、前回ファーストレディだった時代よりもさらに興味を持った。モデルだったことは伊達ではないと納得させる出立ち、装い、着こなしは、彼女のことを好きか嫌いかは省いたとして、「徹底した美意識」という点で歴代のファーストレディの中でもトップレベルであることは間違いない。
「アメリカのお母さん」的なファーストレディ像とは対局の印象を持たれるメラニア氏。ここからの4年で、彼女の前例に迎合しない姿勢が「ファーストレディ・プレゼンス」において多々見られそうな気がしている。
筆者はパンデミック以降、社会における人々のプレゼンスが勘違いした”緩みの傾向”にあると感じているが、その点でメラニア氏の装いには、刺激を与えてくれるのではないかと期待をしている。議論を巻き起こす可能性は大いにあるが。彼女のファーストレディ・プレゼンスにより「スタイル選択の自由とは、だらしないのとも、古臭くていいのとも、不潔なのとも違う」と、今一度気づいて欲しい。
政治や社会の動きの中心には主要人物が存在し、それらの人々のプレゼンスは明らかに意思を持っている。しかも口で発する言葉より雄弁に。この4年、この4年、アメリカ社会の動向とともに、メラニア・ウォッチをして、装いや振る舞い、発言や行動など、そのプレゼンス分析をしていこうと思う。