「今日のファーストレディの装いは、2017年に彼女の夫の最初の大統領就任式で着用したラルフ・ローレンのパウダーブルーの衣装とはまったく異なるものだ。当時、多くの人々は、メラニア氏がジャクリーン・ケネディが示した記憶に残るファッション性を持つファーストレディの型を踏襲しようとしていると感じていた。しかし、今回はメラニア氏の真の個人的なスタイルを見ることができ、彼女のポジションにしてはかなり独特なものだ」
その一方で、「多くの人々が、式典を通して彼女の帽子が目を隠していたことに失望したようだ。正直なところ、彼女がそれを一度も脱がなかったことには、私も驚いた」と語っていた。
この装い、特に帽子の被り方は、メラニア氏の示した「余計な他者を近づけない盾」のようなものにも思える。平たい言葉で言えば「拒絶」であり「自己防衛」を象徴しているようにも見えのだ。つばを深く被ることで、周囲からの視線を遮り、自らの感情を周囲から隠すという意図は少なからずあっただろう。この行為は一方で「私は私である」という強い自己表現としても解釈できる。従来の「母性的」なファーストレディ像とは対照的な、孤高で独特な存在感を際立たせている。
サマー・アン・リー氏も指摘するように、2017年とは違い静かな貫禄を感じさせる今回の装いは、メラニア氏のファーストレディ第二期としての成熟を表していると言えるのではないだろうか。
帽子エチケットとスタイルの境界
女性の帽子着用に関するエチケットでは、帽子が装いの一部である場合、脱ぐ必要はないとされる。ただし、つばが広すぎて周囲の人の視界を妨げたり、深く被りすぎて自身の目線を隠す場合は、礼儀に反するとされることもある。今回のメラニア氏の帽子は、目元が微かに見える時があるか?というくらいに深く被っており、照明の角度によって顔全体が陰になって見えないこともあった。映像や写真を通して見る彼女の表情はほとんど確認できないが、帽子の奥に隠された目元は「見せない」という明確な意思を物語っていた。

それが成立していたのは、隙のない威厳と洗練があるスタイルがあったからこそ。これがちょっと楽しげであったり、垢抜けないものであったとしたら、ただの”無知がゆえの無作法”ととられただろう。「視線を隠すことで神秘性を加え、何があるのか?と興味をそそられ存在感を高めた」と言えるのではないだろうか。
プロトコルに厳密に従うのではなく、ギリギリのところを攻め、自らのスタイルを押し出せるのも、ファーストレディ2回目だからこそできたことだろう。大統領就任式という最初の日に、従来のファーストレディ像にわざわざハマろうとしないという意思表示をしたように思える。