
全国展開してきたBEAMSだからこそ、国内マーケットの飽和状態に危機意識も感じていたという。活路を見出したのが、日本にフォーカスしたコンテンツへの参入だった。
「けれど日本をテーマに動ける人間って、社内に少なかったんです。僕は、BEAMS JAPANを立ち上げる10年位前から『fennica(フェニカ)』というレーベルを担当していました。クラフトやインテリア、日本各地のプロダクトにも携わる仕事でした」(鈴木さん)
メインストリームとは離れた仕事だったが、鈴木さんの心は踊っていた。
「子どもの頃から歴史など社会が大好き。工学部機械工学科を出た理系なんですが、入試の試験科目じゃないのに日本史を勉強していたほど」(鈴木さん)
「ある時、島根県の出西窯という民芸を代表する小さな湯呑みを見て、なんて素晴らしいものなんだ……と。僕は掘り下げるのが好きなので、それからは民芸のツアーに参加したり、日本の家具を買い漁ったり。お金はなかったですけど、夜行電車や夜行バスに乗って地方を回るようになりました」(鈴木さん)
「好き」を原動力に走り続けたところ、BEAMS JAPAN立ち上げという大舞台で旗を振ることに。
「『やっと僕の時代が来た!しめしめ……』という気持ちでした(笑)。ですが失敗は許されませんので、プレッシャーも。日本の工芸や地場産業はまだまだ知られていないものが多いですし、『BEAMSの屋台骨になるビジネスにできるのか』と、社内も半信半疑でしたから」(鈴木さん)