たった1期で大統領職を終えたカーター氏は、1980年の大統領選で落選後も元大統領として独自の平和活動を続け、2002年にはノーベル平和賞まで受賞した。
しかし、つい近年になるまで、当時の困難に遭遇した経済とイランのアメリカ大使館人質事件で記憶されていて、出身母体である民主党からも「失敗政権」とラベルが貼られていたといっても過言ではない。
信念を貫けというメッセージ
ここまで軽視された大統領もいないと言えるが、歴史家のジョナサン・アルターは、著書『His Very Best』で、ジミー・カーターはおそらくアメリカの歴史のなかで最も誤解された大統領であると主張している。彼の分析では、まずインフレやイランのアメリカ大使館人質事件、エネルギー危機を解決できなかったために、再選をめざした大統領選で負けたというのは浅い考えだという。それより、予備選挙でケネディ大統領の弟、テッド・ ケネディ氏が同じ民主党から挑戦したことが大きなハンディとなったとしている。
そして大統領選の相手が、2020年代になっても人気が高く、共和党や民主党の区別なく悪口を言われないことが半ば常識化しているロナルド・レーガン元大統領だったことを考えると、当時売り出し中で新進気鋭の候補だった彼と戦って大統領選に敗れたのはやや仕方がないという。
確かに、「カーターがアメリカに何を残したのだろう?」という問いかけがアメリカ国内で何度も繰り返され、「何もないじゃないか━━だからあの時代はアメリカがもっともだらしなく、弱々しかった」と容易く連想されることがこれまで多かった。
人事を自分の個人人脈で固めたので(そのこと自体は珍しくはないが)、ジョージア州の知事でピーナツ農場のオーナーであるというキャリアのカーター氏は連邦政府に人脈がなく、州のかじ取りしかしたことのない人が多く閣僚についたことで行政に非効率をきたしたことは否めない。
とはいえ、誤解を恐れずに言えば、カーター元大統領がアメリカに残したものは政治の空気を読むより、信念を貫けというメッセージのように思える。
たとえば、中米の動乱を防いだパナマ運河条約や、繰り返される中東の紛争は深刻だが、大国エジプトをイスラエルと和解させた「キャンプ・デービッド合意」はカーター氏の信念とリーダーシップなしには決して実現しなかったものだ。
イランのアメリカ大使館人質事件も、国を追われたモハンマド・レザー・パフラヴィー元皇帝の亡命を人道的立場から亡命を受け入れたことでイラン人の反感を買って事件につながったものだ。今日、あのときのことをふり返って、元皇帝の亡命を受け入れたことを批判する人は誰もいない。