それでも匿名で連絡があり、「同じ志をもつ人が社内にいるとわかって、本当に心強かった」と川田は振り返る。
やがてその活動は社外へと広がり、12年、日本IBMは国際NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチなどとともに、任意団体「work with Pride」を設立。今もこの組織が、日本の企業のインクルーシブな職場づくりを後押しする。

心のかせが外れた日
そして15年、川田自身が大きな決断をする。契機は、全世界のIBMで最も優秀な500人を表彰する「Best of IBM」賞を、川田が受賞したことだ。「受賞が名誉であることはもちろんですが、副賞が素晴らしくて(笑)、ハワイにペアで招待してもらえるのです。そこに誰を連れていきたいかというと、やはり自分のパートナー。これを会社に伝えないわけにはいかない。今がカミングアウトのチャンスだと思いました」
決断の裏には、ずっと抱えてきた自責の念があった。部門のマネジャーを務めていた川田は、以前からメンバーに対し「仕事でもプライベートでも、何かあったら相談してほしい」と言い続けていたにもかかわらず、自分自身のことは何も明かしていない。罪悪感から、飲み会の席で号泣してしまうこともあった。心配する周囲に理由を明かすこともできず、それが心のかせになっていたのだ。
受賞のスピーチを披露する場で、川田はカミングアウトをすることにした。集まった約50人の前に立つと、足が震えた。不安と緊張のなか、10分間のスピーチを終えると、大きな拍手が湧いた。握手を求める人までいた。「仕事で信頼を築いていたからこそ、うまくいったのかもしれません」と謙遜するが、その誠実でフェアな人柄は、ずっと前から川田を取り囲む壁を壊していたのだろう。
カミングアウトをしてからというもの、「仕事が順調にまわるようになった」と川田は言う。冒頭に述べた「能力の毀損」がなくなったからかもしれない。ありのままの自分を職場が受け入れてくれたこの日のことを、川田は「第二の成人式」と呼ぶ。
同じ年、川田が人事部門とともに取り組んできた、企業における日本初の同性パートナーシップ制度が実現した。
「LGBTQ+であろうが誰であろうが、『あなたはあなた』と認める世の中になってほしい。そのために、これからも社内外に働きかけていきます」
目指すのは、すべての人がありたい自分のまま能力をフルに発揮できる社会だ。
かわだ・あつし◎1961年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、日本IBMに入社。2003年、社内でLGBTQ+に関する活動を開始。理解促進と制度拡充に取り組み、12年に同性カップルへの結婚祝い金、15年にパートナー登録制度を実現。22年より現職。