比較のために言うと、火山噴火で噴出した溶岩は摂氏約1300度だ。宇宙船が地球の大気圏に再突入する時の温度は摂氏約2200度前後。太陽の表面温度(黒点部分)でさえ約3300度でしかない。
半径約1.2km以内にいた人々は一瞬にして亡くなり、建物は溶け、市街地の大部分が、爆炎により灰燼に帰した。しかし、爆心地から約1.1kmから2kmの場所に立っていた6本のイチョウの木にとって、原爆投下は、これまでも乗り越えてきた厄介事の一つでしかなかった。
爆発により葉をすべて失い、炭化するほど焼け焦げたが、これらの木々は絶望的な状況をものともせず、数カ月後には新芽を芽吹かせた。
この出来事は、イチョウ(学名:Ginkgo biloba)という驚異的な叙事詩にとっては、1つの章でしかない。イチョウは、核の惨禍を生き延びただけでなく、氷河期や生物の大量絶滅といった、無数の環境激変を乗り越えてきた。
イチョウは、ただの古代樹ではない。回復力、進化、生存能力の生き証人なのだ。
恐竜がいた時代からほとんど変わらない木
イチョウがしばしば「生きた化石」と呼ばれるのには、もっともな理由がある。イチョウを含む系統の起源は、2億9000万年以上前のペルム紀にさかのぼり、恐竜よりも古い。特徴的な扇形の葉と頑丈な構造を備えたイチョウは、数億年にわたりほとんど姿を変えずに生き延びてきた。ジュラ紀の葉の化石は、現代のイチョウとほとんど見分けがつかない。このことは、イチョウの進化的安定性を裏づけている。数億年の間、イチョウは北の超大陸ローラシアの全域で繁栄していた。だが、約6600万年前に起きた「白亜紀/古第三紀間の大量絶滅」により、状況は一変した。
この大量絶滅では、恐竜が一掃され、その他多くの動植物も消滅した。しかし、地球上の動植物のうち4分の3の種が絶滅したとされるなかで、イチョウは生き延びた。だが、それから数千万年の間に、イチョウの覇権は衰えていった。寒冷化が始まっただけでなく、新興勢力の被子植物が多様化し、リソースや空間を奪ったのだ。
1万1000年前に最終氷期が終わったとき、イチョウは中国に孤立した群落が残るのみとなっていた。だが、絶滅の瀬戸際に追い詰められながら、イチョウはまたしても命をつないだ。生まれながらの回復力と、意外な味方のおかげだ。その意外な味方とはヒトのことだ。
ヒトが古代樹を生きながらえさせた
現代のイチョウの多くは、正真正銘の古老でもある。中国陝西省西安市の終南山にほど近い古観音禅寺には、樹齢1400年のイチョウの木がそびえ立ち、毎年秋になると黄金の葉のじゅうたんを広げる。この木はその生涯のうちに、人類史における最大級の転換点の数々を見守ってきた。唐王朝の興隆と滅亡、シルクロード貿易の確立、産業革命が引き起こした世界的動乱など、数えていけばきりがない。