企業にとって時価総額を一晩で200億ドル(約2兆4854億円)増やすことは途方もないことだ。しかし、グーグルにとってはアルファベットを数えるほど簡単だったのかもしれない。
7月10日、グーグルは組織変更を行い、アルファベットが親会社となる発表を行った。この改編により今後は、ムーンショットと呼ばれる秘密プロジェクトの財務状況や、検索や広告といったコアビジネスの数字の公開が期待される。同社の経営はより透明性が増すことになり、投資家らはそれを歓迎した。
フォーブスの調査によると、このような大胆な名称変更を行った企業はグーグルだけではない。今日よく知られている企業の多くが、かつての名前とは違う呼び名で現在は呼ばれているのだ。実際のところ、グーグル自身もまた最初はグーグルではなかったのだ。
グーグル (旧社名:BackRub)
月曜のアナウンスメントは実際のところ、グーグルの最初の名前変更ではなかった。この検索エンジン企業は1996年にBackRub(back rubは背中のマッサージを意味する)という名で始まった。その翌年の97年にラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは名前をグーグルに変えた。もしこの名称変更が無ければ、我々は現在「その言葉をグーグルしてみてくれる?」と言う代わりに「背中にマッサージをしてくれる?」と言っていたはずだ。
ブラックベリー (旧社名:Reserch In Motion)
BlackBerry以外のBlackBerry社の製品を知っているだろうか? 多分、誰も知らないだろう。つまり、それがResearch In Motion社が名前を変え、2013年にBlackBerry社に生まれ変わった理由だ。しかし、この動きを投資家やアナリストらは、遅すぎる決断だったと評価し、株価にもさほど影響が無かった。
ベストバイ (元Sound of Music)
Sound of Musicはリチャード・シュルツによりミネソタ州セントポールに1966年に創業されたオーディオ機器専門店だった。初年度に店は100万ドルの売上を稼ぎ出し、1969年にIPOを果たした。1978年まではミネソタ州に9店舗を経営。そして1981年、トルネードがその最大の店舗を襲った。苦肉の策として同社は駐車場で大規模な“Best buys”(お買い得品)セールを行い、そのことで売上を2倍に伸ばすことに成功した。1983年に同社は正式に名前をBest Buyに変更した。
アップル (旧社名:Apple Computer)
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがAppleを1976年に創業した時、彼らは名前をApple Computerに決めた。当時の同社はコンピュータメーカーだったからだ。しかし、2007年に同社はiPodやiPhone、その他の製品のビジネスに乗り出した。そのため2007年にジョブズはコンピュータをAppleの名前から取り外すことにした。
ニッサン (旧社名:ダットサン)
日本の自動車メーカー、日産が米国市場に参入したのは1958年のこと。その時、同社はDatsunの名前を用いた。もし、海外事業が失敗しても、本体の日産ブランドにヒビが入らないようにするためだったとの説がある。その後、同社の事業は成功し、日産は全てのDatsunをNissanへ変更した。これには数億ドルのコストがかかったと言われている。
アメリカン・オンライン (AOL) (旧社名:Quantum Computer Services)
1985年、Quantum Computer Service社はインターネットサービス部門を立ち上げた。同社はソフトウェア事業がメインで、1988年にはアップルと提携してMacintoshをローンチしている。1989年、AppleとQuantum Computer Serviceは袂を分かち、Quantumは自社の名前をAmerica Onlineへと変更した。その数年後、タイムワーナーと合併して以降はAOLと名乗っている。
エクソン (旧社名:元エッソ)
エクソンは長い混乱の歴史をたどっている。1926年、スタンダード・オイルの末裔の1つであるジャージー・スタンダードは"Esso"の商標で新しい石油会社を設立した。‘S’と‘O’はStandard Oilから取った。しかし、最高裁判所は末裔の会社達に対しスタンダード・オイルの名の使用を禁止し、"Esso"の名は近すぎるとして禁止した。そのため1972年に同社はSをXに変え、Exxonが生まれた。その際に同社は日本でもエクソンを名乗ろうとしたが「クソ」という言葉が不快な印象を与えるとの意見があがり、エッソのままで通すことにした。
任天堂 (旧社名:株式会社丸福)
任天堂は1889年に創業。同社は丸福という名でカードゲームの製造会社として生まれた。1951年、企業名を任天堂骨牌株式会社に変更した。(「任天堂」という社名のあたま二文字は"運を天に任せる"という意味に解釈される。また「骨牌」はカルタや麻雀のパイを意味する)。その後、販売製品を拡大したため1963年に"骨牌"の名は捨て任天堂となった。
ナイキ (旧社名:Blue Ribbon Sports)
ナイキはBlue Ribbon Sportsとして1964年に創業。オニツカタイガー(現アシックス)の輸入販売を行っていた。1971年、同社の最初の従業員、ジェフ・ジョンソンが彼等の店舗の名前をNikeにするよう提案した。ギリシャの翼を持った勝利の女神の名が由来である。