そんななかで神戸の下町、新長田にある「片山工房」という福祉施設で制作された作品が注目を浴び始めている。三宮にあるスターバックスコーヒー 三宮磯上通店では、片山工房でつくられた10点の絵画が壁を飾り、カフェを楽しむ人たちを和ませている。
また片山工房に所属する作家の作品は、内外の美術館から声を掛けられて特別展につながった事例もあり、2023年10月には米国ロサンゼルスで個展が開催されたほどだ。
新長田といえば、30年前の阪神・淡路大震災のときに甚大な被害を受けた地区。現在は片山工房の代表を務める新川修平も、20歳のときに被災している。当時、自宅が全壊したので、避難所で6カ月を過ごしたことが、いま手掛けている障害のある人たちの支援にたどり着く原点になったという。
どのようにして、片山工房から優れたアート作品が生まれてくるのか、その理由を新川に詳しく聞いてみた。
人々がフラットだった、30年前の震災が原点
30年前、新川が避難していた中学校で炊き出しの列に並んだのは、住む家を失った人たちばかりだった。なかには高価そうな服を着た人もいたが、実は自宅は全壊していた。そんななかに障害のある人もいた。これまでの日常とは違って、誰もが同じ食事をとるほかなかった。「極限状態でしたが、あの場に居合わせた人間はみな同じ境遇にいてフラットでした。しかも、彼らが住む家を必ず再建させると話しているのを聞くと、困難を越えて力強く生きようとする点で、みなが同じ目線なのだと感じました。ところが日常生活に戻ると、仕事というか、働き方が違ったりするので、格差が生まれるのだと思うようになりました」
新川は、このときから働く際に困難が伴う障害のある人たちのことが気になり始めたという。人と人とがフラットな関係であるのなら、障害があっても社会から必要とされる何者かになれるはず。そんな確信が生まれ、そのことを訴えていきたいと思うようになった。
その思いが行き着くところで、障害のある人たちの可能性にふたをすることがない表現活動を応援しようとする気持ちが生まれたという。
2003年に地元で障害者福祉サービスを提供する「片山工房」が、事業自体を引き継いでくれる人材を探しているのを知ると、新川はすぐに手を挙げた。
それ以前は、葬儀会社で働いていたが、その頃から亡くなった人たちのために尽くすのではなく、遺族をはじめとする、生きている人たちの背中を押すのが、自分の仕事であると感じていたという。
新川が代表を務める片山工房に足を踏み入れると、その不思議な雰囲気に圧倒される。片山工房では、何ともいえない自由な空気が漂っている。というのも、ここでは、スタッフと雑談をするだけ、お茶を飲むだけ、昼寝するだけでも構わないとされているからだ。