「小さな赤い点」から世界のマーケットへ
シムの中国語名である「財福」は、「富」と「祝福」を意味する。1979年に高校をやめた後、シムはR・シム・トレーディングという会社を通じて家電製品を販売。後年、社名をオシムに改名し、より裕福な層の顧客の興味を引くマッサージチェアやそのほかの健康機器、ライフスタイル機器を中心に扱うようになった。シンガポールは小さな市場で、「(地図上の)小さな赤い点」と呼ばれるほどだったことから、シムは早くから海外での成長が必要であることに気づいていた。40年にわたり、世界市場で指圧を模した自身のマッサージチェアのニッチ市場を開拓してきたシムは、中国などの市場で成功を収めてきたが、ひとつ大きなつまずきを経験している。2000年に上場し、わずか7100万SGDの評価額で行われた新規株式公開(IPO)で25%以上の株式を売却した後、シムは高い授業料を払って手痛い教訓を学ぶことになった。
シンガポールの政府系投資ファンドであるテマセクと、ボストンの未公開株投資会社J・W・チャイルズ・アソシエーツと手を組み、オシムは05年に4億5000万ドルを投じて、米国の専門小売店ブルックストーンを買収した(同年、オシムはフォーブス・アジアの年商10億ドル未満の優良企業を選ぶ「ベスト・アンダー・ア・ビリオン」に選出されている)。これにより、米国の300近い店舗でマッサージチェアを販売できるようになったものの、ブルックストーンは14年に破産保護の適用を受けることになり、オシムはこれを受けて同じ年に同社の持ち株を1億7500万ドルで売却した。16年、シムは評価額が10億SGDになっていたオシムを計画的に非公開化し、シンガポール証券取引所での上場を廃止。その後、自身の事業をV3グループのもとに再編した。
ブルックストーンの一件には、高いレバレッジを利かせた買収は行うべきでないことを教えられたとシムは語る。同時に、このときの危機を活用してオシムのマッサージチェア事業を統合し、生まれ変わらせたという。現在、25カ国の100近い都市で400を超えるオシムの店舗数は、ブルックストーンを買収した20年前の約半分だ。店舗網が最適化され、今やオンライン販売が収益の約10%を占めるようになっているが、顧客が製品を試せるように実店舗は維持していくとシムは言う。
現在、オシムの最高級リクライニングマッサージチェアであるユードリーム・プロ・ウェルビーング・チェアの小売価格は1万999SGDで、中国本土、台湾、香港、マレーシア、シンガポールで市場シェア1位をうたう。また近年は、製品構成を拡充。マッサージソファーのユーディーバやマッサージ機能付きのゲーミングチェアなども展開している。
「私たちなりの若者を引き付ける方法です」
そう話すシムは、パンデミックによって売り上げが大幅に伸びたと指摘する。
オシムにとって、年間売上高の約25%を占める中国の昨今の景気停滞は、痛手になっている。23年の純利益は前年比56%減の2840万SGDで、収益も27%減の3億1240万SGDとなった。それでも、シムはこの世界第2位の経済大国の力を信じており、現在は一時的な苦境を乗り越えつつあるのだと語る。ニューデリーの調査会社マーケッツ・アンド・データによると、マッサージチェアの需要は旺盛で、業界の世界売り上げは、22年の45億ドルから30年までに2倍近い87億ドルに増える見込みだという。