金正恩氏は過去、アサド大統領(当時)との間で頻繁にメッセージを交換していた。金正恩氏は今年だけでも、アサド氏に対して、「年賀状」(1月)、「シリア革命61周年の祝電」(3月)、「シリア独立78周年で祝電」(4月)、「アサド氏のバース・アラブ社会党書記長への再選で祝電」(5月)、「シリア是正運動54周年で祝電」(11月)などの名目でメッセージを送った。アサド氏も同じように、北朝鮮の様々な記念日にメッセージを寄せた。シリアで11月末から、反政府勢力の猛攻が始まると、北朝鮮外務省は12月5日付の報道官談話でアサド政権に対する全面的な支持を表明。アサド政権が崩壊した8日付の北朝鮮政府機関紙「民主朝鮮」は、「シリア情勢激化の責任は米国にある」と訴えた。
だが、アサド政権崩壊後、北朝鮮のシリアを巡る報道はピタリと止まった。その様子から、北朝鮮の困惑と動揺が見て取れる。2013年に米ワシントンのシリア大使館から亡命した元外交官のバッサム・バラバンディ氏は「シリアは北朝鮮から独裁の方法を学んだ」と説明する。アサド氏の父、ハーフェズ・アサド元大統領は1971年のクーデターから数年後に北朝鮮を訪問。秘密警察への協力者を使った住民監視、盗聴、政治犯収容所の設置、指導者の偶像化などを学んだ。1996年にダマスカスを訪れると、ダマスカスの街頭は、ハーフェズ・アサド大統領のポスターで埋め尽くされていた。バラバンディ氏は「シリアの独裁は、北朝鮮の完全なコピーだ」と指摘する。
北朝鮮の最高指導者は過去、ルーマニアやイラク、リビアなどで独裁者が倒れるたびに、「次は自分たちの番か」と緊張し、身構えてきた。アサド政権崩壊のニュースは、金正恩氏に大きな衝撃を与えただろう。これから、化学兵器や核開発に関する北朝鮮とシリアの「闇の関係」も徐々に明らかになっていくだろう。