北朝鮮部隊の襲撃(アサルト)は1回を除いて血なまぐさい失敗に終わった。総勢およそ1万2000人とされる北朝鮮部隊のうち、200人ほどが死傷した可能性がある。
とはいえ、その「成功した」襲撃もまた、第11軍団にとって戦果と引き合わないほど損害の大きい「ピュロスの勝利」だったのかもしれない。
突出部の南東端に位置し、クルスク州からウクライナへと流れるプショール川のすぐ南側のプリョーホボ村では、100人規模のウクライナ軍守備隊が、北朝鮮部隊による各150人程度の2波にわたる襲撃に持ちこたえた。
しかし襲撃はさらに続いた。ウクライナのジャーナリスト、アンドリー・ツァプリエンコは「北朝鮮兵は集団で、より正確に言うと群れのように突撃してきた」と伝えている。
ウクライナ軍の守備隊は撤退したが、ウクライナの防衛戦略センター(CDS)によると、これは計算された撤退だったらしい。ウクライナ軍部隊は「どんな犠牲を払ってでもプリョーホボに踏みとどまろうとはせず、プショール川の北側に退却した」とCDSは解説している。
その結果、ロシア・北朝鮮連合軍側と、突出部の南東方面のウクライナ軍主力である第61独立機械化旅団との間に、天然の障害が難関として立ちふさがる格好になった。
「このため、敵はUAV(ドローン)や大砲にさらされながら、開けた土地を横切って、彼らにとって配置のわからない陣地を攻撃することを強いられた」(CDS)
北朝鮮部隊はプリョーホボ村を奪還したものの、ロシア・北朝鮮部隊はそれ以降、プショール川に近づいたり、この川を渡ったり、あるいは対岸に橋頭堡を築いたりするのに手こずっている。蛇行して流れるプショール川の北側や西側の塹壕に入っているウクライナ軍部隊は、敵部隊を思うがままに狙い撃ちしている。