もう、こっぴどく叱られましたね。「お前は何を考えているんだ」と。「経営者という立場で、何かをやり切るということはない。区切りをつけて、自分がするべき経験をしなければならない」と言われました。
それでも、しばらく後になって「1年間待ってやる」と言われました。そして、入社5年目の2012年3月からアメリカに赴任することになったんです。
──その1年間はどのようなことを学んだのですか?
今になって振り返ると、1年延長して学んだ日本での経験によって、アメリカ現地法人の問題点を浮き彫りにできたと思っています。
当時、「kai U.S.A. ltd.」の売上はずっと伸びていたのですが、実は財政基盤が脆弱になりつつありました。経費コントロールやプロダクトミックスなど、財政管理の面であまりいい形ではないと気づけたのは、経営戦略について学んだおかげだったと思います。
「私を副社長にしてください」
──2年間のアメリカ赴任を経て、2014年に日本に帰任されます。その後は、後継者としてどのような道のりを歩んできたのでしょうか。国内営業本部や経営管理本部、経営戦略、マーケティング、研究開発などひと通りの仕事を経験してきました。父から言われたのは、「生産や営業に携わったあとに絶対に見ておかなければならないのは、“人”だ」ということ。
2016年には経営管理本部の副本部長のポジションで、人事・総務の仕事にも携わり、社内全体を俯瞰するという経験も積むことができました。
──必要な経験を積み重ねて、いよいよ事業承継へと向かっていったのですね。
父が33歳で会社を継いでいるので、同じくらいの年齢の時期には会社を任せたいという話はあったのですが、当時は具体的には進んでいませんでした。
しかし私も、さまざまな部署を経験して、「待っているだけではなく、いつでも継げる体制を作らなければ」と、少しずつ意識を変革していきました。人事の業務を担当して、事業承継をするには自分が経営するための組織・体制も整えていかなければならないことに気づきました。
そこで2017年に経営戦略本部長に就任し、会社の中期経営計画の策定をスタートしました。
当時の会社での肩書は「常務」というポジションです。会社の中期経営計画を発表する際、「会社のNo.2である」ということを示すため、副社長への就任は絶対に必要なことだと考えました。
──それが2018年の副社長就任のタイミングだったのですね。
2018年は、会社にとっても創立110周年の節目です。国内社員でのハワイへの周年旅行も決まっていました。このチャンスに会社のNo.2として、会社の後継者として、貝印の近未来について発信しなければならない。そう考えて、「副社長にしてください」と父に覚悟を伝え、「そうか、わかった」と了承してもらいました。
約800人が参加したハワイでの社員旅行のパーティーで、未来に向けて行ったプレゼンテーションで掲げたのは、「Blue Ocean Wave(ブルーオーシャンウェーブ)」という言葉。青い海に囲まれたハワイで、「競合相手のいない、新しいブルーオーシャンを作っていこう」という思いを込め、波のように次から次へと押し寄せてくる変革をしていこうというメッセージを伝えたんです。
反響も大きく、自分自身も先へと進むきっかけになりました。会社でも「これから貝印が変革していく」という空気を醸成することができたと思っています。