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2024.12.30 14:15

後継者の自覚は小5から 「刃物の聖地」老舗・貝印が描く未来

父から明確に「会社を継げ」と言われたことは一度もなかったのですが、小学6年生から中学生になる頃には、「将来は自分が会社を継ぐんだ」という自覚が芽生えていたと思います。
 
──会社を継ぐことに対する抵抗感はなかったのですか?
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中学生になると、夏休みに倉庫でアルバイトをしたり、工場を見学したりと、会社に出入りする機会が増えていきました。自然と会社への愛着が湧き、「老舗メーカーの創業家に生まれた」という境遇を、「これはチャンスだ! 生かさない手はない」と捉えるようになっていったんです。
 
当時の貝印は海外展開を進めており、父は毎週のように海外出張をしていました。世界をまたにかけ、グローバルに活躍している姿を見て、「いつか自分も!」という思いが強かったですね。

新卒での貝印入社が「ベストだった」その理由とは 

──中学生時代に「後継者」を志し、その後はどのように歩んだのですか?
 
東京の高校に進学した頃には、父も私に会社を継ぐ意思があるというのを感じ取っていたようです。高校1年生の夏休みに、父のアメリカ出張に同行することになり、オレゴン州にある現地法人の幹部宅に数日間ホームステイしました。
 
当時2~3歳の息子さんがいたのですが、家族旅行に同行して、一緒にサンドバギーに乗った記憶があります。日本では味わえない、異文化の中での体験と交流は当時の私にとって大きな刺激になりました。さまざまな経験の中で、後継者への思いは一層強くなっていったと思います。もしかしたら、父の手のひらの上で転がされていたのかもしれませんが(笑)。
 
この間、オレゴン州の工場に行った際には、その息子さんが働いていたんです。親子2代にわたって、貝印で働いてくれているのが本当に嬉しかったです。
 
──慶應義塾大学を卒業後、すぐに貝印に入社されています。他の会社を経験するなどの選択肢はなかったのですか?
 
もちろん、他社で修業という選択肢も考えていました。しかし、最終的に貝印の中で経験を積んでいくのがベストだと決断しました。
 
振り返ってみても、新卒で貝印に入社してよかったと思っています。社会人1年目という一番下の立場から、現場のリアルな声を耳にすることができ、同期社員の話を聞くこともできました。
 
もしも他社での修業を経て、それなりの立場で入社していたら、社員からまた違う目で見られていたのではないでしょうか。新卒から貝印で働いているということが、社員の心理的なハードルを下げ、親しみを持って迎えてもらえていると思っています。

「1年間だけ待ってほしい」父への初めての主張


──2008年に大学新卒で貝印に入社し、どのような部署を経験したのでしょうか。

 
はじめは生産管理の仕事からスタートしました。貝印の核はものづくりなので、生産現場を学ぶことが、まず必要でした。先代社長の父も、入社1年目は生産管理部門からキャリアをスタートさせています。
 
1年間、関市の工場でしっかりと現場を学び、2年目は東京本社で家庭用品の商品企画に携わりました。3年目は経営企画を担当し、4年目を迎える前に、はじめて父に意見をぶつけることになりました。
 
当時社長だった父からは、私のキャリア形成を考えたうえで、4年目からアメリカの関連会社「kai U.S.A. ltd.」に赴任するよう命じられていました。しかし、私は「1年間だけ待ってください」と伝えました。そのときに担当していた経営計画の仕事が、自分にとってまだやりきれていない、まだ日本で学ぶべきことがあるという思いでした。
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