焦点は、中国共産党が低迷する家計需要にどう対処しているか、すなわち短期的な景気刺激策と、それに伴う国債利回りの低下である。これは、1990年代に日本が不良債権問題に対処したのとまったく同じ対応だ。そして、日本は今なおその余波に苦しんでいる。
必要とされているのは、社会的セーフティーネットを構築し、貯蓄よりも消費を促すための大胆かつ緊急の措置だ。習指導部の改革チームがこの大きな経済的空白を埋めるまでは、経済停滞に対して対症療法で時間稼ぎをしているだけにすぎない。
中国政府がなるたけ迅速に行動し、実施するべき改善策は他にもある。低迷する不動産セクターの立て直し、より活気ある資本市場の創出、記録的な若年失業率の引き下げ、制御不能なまでに膨れ上がった地方政府の債務削減、国有企業による寡占の抑制、そして透明性の向上などだ。
しかし、ことデフレ対策となると、人民元の過剰な家計貯蓄を消費に回すインセンティブほど急を要するものはない。これは構造的な課題であり、資金投入にとどまらない強力な政策対応が求められる。
中国の人口動態を考えれば、その重要性は明らかだ。高齢化は、本質的にデフレ要因となる。なぜなら70代の人々は20代や30代と同じようには消費しないからだ。
中国の債券利回り低下を受けて、日本を引き合いに出すエコノミストが相次いでいる。習指導部が14年ぶりとなる金融緩和姿勢を示した後、中国国債の価格は急上昇している。10年債の利回りが右肩下がりを続ける中、市場関係者はゼロ金利へと向かう可能性がより現実味を帯びてきたとみている。
そして、それこそ中国が「ゆでガエル化」し、本当に深刻な危機に陥るときだ。鍋の中のカエルはゆるやかに上昇する水温には気づけず、問題を感知したときにはすでに手遅れとなっている──よく知られたこの寓話が真実であることを世界に証明している主要経済国があるとすれば、それは日本にほかならない。
要するに、人は状況が壊滅的になるまで、忍び寄る危機に気づきにくいということだ。経済的な観点から見ると、日本はまさにその典型である。25年以上にわたり歴代の日本政府は、不良債権問題への最善の対処法は大量の国債発行、大々的な公的資本注入、ゼロ金利であると考えていた。
中国はこのパターンを回避しなければならない。だが、少なくとも現時点ではそうなってはいない。日本から得られる大きな教訓は、問題の根本原因に当たるよりも、対症療法をとりがちな政府は、経済的に「失われた数十年」に陥りやすいということである。