尖っていた20代 コロナ禍で気づいた過ち
藤田:Makuakeで何度もバズっている印象ですが、なんでやろうと思ったんですか。鷲尾:シンプルに資金がない自分がどうPRするかを考え尽くした結果ですね。テレビで自社商品が取り上げられると、その瞬間はやっぱり売り上げが跳ねるんですよ。でも、世の中の人に興味を持ってもらうために、見せ方や伝え方がフィットしていないといけないので、良い形で商品を届けたいと思ってました。2018、19年ごろはまだ企業によるクラウドファンディング黎明期で「どんなストーリーがあれば他の人に言いたくなるか」をよく考えました。
山田:先ほど言われていた、ご両親が言い争いをしていたというのは、結局入社してその通りだったんですか?
鷲尾:100%その通りですね。特に、地方の中小企業で決算書が読めない社長は普通にいるんですよ。ファクトベースで判断をせず感覚で経営していて、父親も母親の訴えを文句や愚痴を聞いているスタンスだったんじゃないかなと思います。入社して初めて決算書の数字を全て見ていくと、ほんまにやばいやんと思い知り、改革に踏み込んでいきました。
藤田:社長はある程度、それを受け止めてくれたんですか。
鷲尾:いや、それが当時の僕は、切れ味するどい日本刀を振り回していたようなタイプだったので......。今の僕とは別の人間だったと思います。それくらい危機感が強かったので、父親に対しても当たりが相当強かったです。
親戚の検品会社に対して、結構大きな支出があったので適正な値段交渉のための資料を作って父親に渡したら、相手からは相当怒られましたけど提案を通しきったところ、取引は打ち切りになってしまいました。今だともっと色々な配慮ができたと思いますが、結局パッケージまで社内で内製化することにしました。
入社してから1年で粗利率が10%ほどアップして黒字化して、利益率を改善させて回復基調が3年ほど続いたところに、コロナ禍がきました。
藤田:復活の兆しが見えたところで。コロナ禍にはアパレル全体が大きな影響を受けましたよね。
鷲尾:某アウトドアブランドのインナーなど、OEMを結構受けていたけれど、コロナ禍で店を閉めたことでオーダーがガーンと減りました。21年2月末の決算がやばくて、僕も諦めかけました。
結局、どこまできても幸せにならなかったんですよ。業績は良くなっていっても、従業員の顔は暗いし、自分自身も何も楽しくない。でも業績を良くしていくためには経費も削らなきゃいけないし、さらにボーナスも出せないとなってくると、続けていく意味があるんか?と思うようになりました。ここで自分の誤りに気づくんです。
僕自身は、技術力の高い素材や会社の歴史に全然寄与できていなかった。製品を作ってくれているのは現場の「人」だし、それを最後に料理してうまいこと届けているだけの人間が自分で、この会社を立て直したみたいな顔をしていた自分が恥ずかしくなりました。そして月1の全体朝礼の場で謝ったんです。皆さんのためを思ったつもりが、本当にちゃんと考えていたとは言いがたい。あの気づきを形にして皆さんにお返ししたいと思い、必死で営業活動を頑張って取引を増やしたことで、コロナ明けの年にはボーナスを払うことができました。