4. 生物学的負担の少なさ
女性が男性についてうらやましいと思う最後のものは、既存の研究ではまだ取り上げられていないねたみの新しい「形」であるという点で先駆的な発見だった。これは研究論文の著者らが「ablative envy(剥奪的な羨望)」と表現したもので、他人が抱えていないことをうらやむことを指す。「根底にあるのは、異性が耐える必要がないように、不快なものを自分から取り除いて耐える必要がない状態を望むということだ」と研究チームは説明する。「なくなってほしい」という強い思いは、他人が持っているものを欲しがる従来の羨望と大きく異なることは注目に値する。具体的には、月経や妊娠、閉経のない男性をうらやむ女性がかなり多く、剥奪的羨望という言葉が生まれた。女性が経験するこうした身体の変化は心身両面で負担が大きく、女性は男性がこれらの経験をしなくてもいいことを大きな利点と見なしているようだ。
「女性は気ままな生活、経済的な余裕、社会的地位という点で男性をうらやむことが最も多い」と研究チームは結論づけている。対照的に「男性は女性の肉体の美しさや誘惑して操る能力をうらやむ。それゆえに羨望は社会におけるジェンダー格差と、男女が求めるものが同じではないという事実を反映している」と説明する。
ほろ苦い皮肉だ。往々にして男女は互いに異性が憤慨している点をうらやむ。女性は、男性が享受している社会的な自由、感情の抑制からの解放、身体の負担が少ないことに憧れるが、男性は感情を表に出すことができず、異なる基準で社会的に評価されることにしばしば苦悩する。同様に、男性は女性の美しさや感情表現の自由、育児の役割に憧れるが、女性はこれらが強いプレッシャーと犠牲の源だと感じることが多い。
これらの発見は、隣の芝生は青いかもしれないが、それぞれがかなりの重荷を背負っていることを痛切に思い出させる。現実には、男性と女性がそれぞれに体験していることはどちらも本質的には楽なものではなく、どちらの方が良いということもない。むしろどちらも社会構造によって形成されており、その社会構造は誰にとっても望ましいものではない。
(forbes.com 原文)