スズキ:一例として、23年度における東証一部上場の医薬品業界の平均値を使った産業レベルのシミュレーションを行った。
まず、業界で行われている自社株買いを制限し資金流出を避けるが、配当レベルは通常配当を維持することで投資家の反発を抑制する。他方、自社株買い制限で確保された分配可能余剰分は役員、従業員、事業に分配していく。仮に役員への分配を1.5倍にし、従業員に対する現金給与(年間フロー)は10%増しにしても、なお分配可能付加価値は余るので、今度はこれを「従業員の資産形成分」として配分していく。資産形成分のうち、1割は会社への長期貸付金、9割は従業員持株制度を利用した株式とする。その結果、従業員への還元は従来の59%増し、事業再投資額は23%増し、さらに政府が得る資金も10%増える。
ここでのポイントは、経営者は従来、売り抜くことだけを考えているアクティビストに対する還元増を企画していたのに対し、新しい経営では、事業の中心にいる従業員が会社に対する債権者や株主になることで士気(やりがいや責任感)の向上につながることだ。また、従業員への給与が大幅に増加することで所得税や住民税、法定福利費の増加をもたらし、国の財政にもプラスの影響を与え、安定した経済経営をも醸成する。
同様のシミュレーションを、すべての業種を含む大小500程度の企業のケースで繰り返し、ミクロとマクロにどのような影響が生じうるかを検討した。その結果、株主への通常配当レベルを変えず、自社株買いを制限してやるだけで役員にも従業員にも、事業や政府にも多くの資金が確保される可能性があるとわかった。こうした「第一段階での分配」については国内外の議論が進んでいないが、実はここにこそ潤沢な財源があり、政策イノベーションの可能性が存在するのだ。
例を挙げよう。欧州では08年に、ユニリーバのCEOに着任することが決まっていたポール・ポールマンが付加価値分配の見直しと従業員配慮を宣言した。これを受けて、09年の第1四半期の同社の株価は8%下落し、主要株主に占めるヘッジファンドの割合は大幅に下落した。しかしその後、従業員の士気の向上に伴い業績が改善し、これを好感した投資家たちが同社の株を買い増し株価は上昇した。もちろん、特定の経営手法やモデルには常に失敗例も両立しうるが、ユニリーバの事例は適正分配モデルの可能性を示唆している。