しかし、国民にとって本当に大切なことは、どの党が与党になるかではない。その新たな与党が、どのような政策を具体的に実行してくれるかである。
されば、野党各党は、政局に浮かれる前に、これから「3つの力」が問われることを覚悟すべきである。
本稿では、独仏英3国の政党と政治家の事例を紹介しながら、この「3つの力」を論じよう。
まず第1は「官僚組織の統率力」。ひとたび与党になれば、政治家には省庁を動かしていく力が求められる。しかし、我が国では、大組織をマネジメントした経験の無い政治家が少なくない。そのため、官僚の動かし方が分からず、パワハラになったり、逆に、官僚の言いなりになったりする政治家が多い。
筆者が、かねて「都道府県知事や自治体首長を経験した人材が、もっと国政に進出し、閣僚になるべき」と論ずる理由は、そこにある。
かつてドイツにおいては、ヴィリー・ブラント率いる社会民主党が、与党キリスト教民主同盟との「大連立」を選択し、連立時代に、「官僚組織の統率力」を磨き、後に社会民主党が主導する政権を作った。その経験から、野党は学ぶべきであろう。
第2は「合意形成の妥協力」。一般に、この「妥協」という言葉は否定的な意味に使われることが多いが、政治の世界では、この言葉は、高度な現実対応能力を意味している。ドイツの政治家ビスマルクは「政治とは妥協の産物であり、可能性のアートである」との言葉を遺しているが、政権を任され、責任ある立場に立ち、他党との合意形成を実現しようとすれば、必ず、何らかの「妥協」が求められる。
しかし、永年、その責任を負わないできた野党の政治家の中には、残念ながら、ただ正論と理想を語り、批判と反対をしていれば役割を果たしているとの思い違いをしている者が少なくない。だが、その姿を見て、多くの国民は、「この野党には、政権を任せられない」と感じてきたのである。
一方、政治家が「正しい妥協力」を身につけるために、理解しておくべき大切な言葉がある。
それは、「原則を理解する者こそが、最も柔軟であり得る」という言葉である。
すなわち、真の妥協力を身につけた政治家は、「本来、何が最も大切か」の原則が分かっている。そのため、一時、妥協を余儀なくされても、いずれ何をめざすべきかを見失わず、決して流されない。
逆に、原則を理解しない政治家が妥協をすると、しばしば「無節操」と呼ぶ状態になってしまう。