ある意味、恋愛小説とも読める『遊郭島心中譚』のストーリーは次のようなものだ。
純愛を貫いた姉の凄絶な最期を目撃したことが、平凡な町娘の人生を一変させた。姉の死を受け容れるため、女易者となった鏡(きょう)は、生涯変わらぬ絆を誓い合う男女を相手に、書付けと共に爪や髪などの体の一部を収める〝心中箱〟を江戸市中に広めていく。
そんなある日、鏡のもとに1人の役人が訪ねてくる。前年の開港で横浜に流れ込んだ各国高官をスパイするため、彼らの現地妻である綿羊娘(らしゃめん)になれという。心中箱をばら撒く好機と踏んだ鏡は、誘いを受諾する。
一方、木挽き職人の娘・伊佐は、父・繁蔵の急死を呑み込めずにいた。実直で職人肌の父親が、攘夷派の陰謀に関与した挙句に、仕事道具の鋸で金貸しの娘の死体を損壊し、切断した首を持ち去ったという。その翌々日、苫舟で骸となって見つかった父は、潮騒という遊女の鑑札を身につけていた。
父の弟子だった幸正の斡旋で、伊佐は事件と関わる横浜の港崎遊郭(遊郭島)に乗り込むと、見合い相手のバーキット大佐ではなく、付添いのメイソン大尉に見初められる。大尉には遊女殺しという黒い噂があったが、共通する石への愛着と興味が2人を結びつけたのだった。
舞台の中心となる港崎遊郭は、幕末の横浜に実在した遊女町で、泥地を埋め立て、外国人向けの廓として安政年間に開設された。鏡が綿羊娘として遊郭島で暮らし始めたのはその翌年のことで、さらにその3年後、伊佐もまた綿羊娘となり、郭の島の門をくぐる。
物語では、イギリス人士官たちと2人の女の心の交流が濃やかに描かれていく。決して成就することのない綿羊娘の一途な思いと苦悩が浮き彫りになっていく中途までの展開は、ミステリの要素はやや希薄で、首を傾げた江戸川乱歩賞の選考委員もあったと聞く。しかし後半に至ると、心中箱というガジェットと登場人物たちの業が、想像を絶する形で重なり合い、共鳴する。
密室やクローズドサークルなど、物語の舞台を日常から切り離す手法は、ミステリの十八番だが、読者を襲う「何が起きたのか!?」という驚きは、恋愛豪俠を題材とした中国唐代の読み物がその語源とされる伝奇小説を思わせる。その大胆な奇想からは、推理小説という枠組みすら越えようとする新人作家の意気込みが伝わってくる。
近世と近代の狭間の時代、日本ではまだ愛という概念は曖昧だったという。それを詳らかにしようという鏡の願いは、作家を本作に向かわせた強い動機でもあったに違いない。『遊郭島心中譚』は、西欧文化の流入が進む節目の時代を背景に、愛に苦悩する女たちを描く、野心的な恋愛小説としてもたいそう読み応えがある。