ルトニックは、創業者のバーニー・キャンターが1996年に死去した後に、キャンター・フィッツジェラルドの支配権を握り、債券やデリバティブ、スワップ、先物などのあらゆる分野に手を広げた。同社の収益は1991年から1996年にかけてほぼ3倍になり、約6億ドル(約908億円)に達した。ルトニックは、1996年に債券市場の取引を効率化する電子プラットフォームのeSpeedを立ち上げたが、この動きが、9.11の悲劇が襲ったときに会社を救うことになった。
同社は、2001年に従業員658人を失うという未曽有の危機に直面したが、1999年にナスダックに上場したeSpeedの電子取引能力が業務を支え、収益を維持する助けとなった。eSpeedは、2008年にキャンター傘下のBGCパートナーズに統合され、その後の2013年にナスダックOMXグループに売却された。この売却は、現金7億5000万ドル(約1136億円)と15年にわたる株式支払いを伴うもので、ルトニックが築いた金融テクノロジーの価値を示すことになった。
巨額のボーナスをめぐる訴訟
ルトニックはまた、不動産分野にも進出し、いくつかの企業を買収して2018年にBGCから分離したニューマークに統合した。ニューマークは、不動産の売却や融資、賃貸、資産管理などを手掛ける数十億ドル規模の不動産サービス企業に成長し、その顧客にはトランプ・オーガニゼーションも含まれていた。ルトニックのビジネスの手腕は、彼の敵とされる人物ですら高く評価しており、ある人物は「ハワードは努力を惜しまず、何としてでも自分の望むものを手に入れる」と述べている。
ただし、彼のやり方は誰もが納得するものではない。ルトニックは、2022年にニューマークの価値を自分が向上させたと自賛し、5000万ドル(約67億円)のボーナスを不当に要求したと主張する同社の株主からの訴訟に直面した。
ルトニックは2021年に2000万ドル(約30億3000万円)を受け取り、次の3年間でそれぞれ1000万ドル(約15億円)のボーナスを受け取ることを約束されたが、株主は「このボーナスは明らかに過剰で、ニューマークとその少数株主にとって不公平だ」と主張した。
ルトニックが議長を務める取締役会は、この訴訟には根拠がないと反論し、多額のボーナスは、ルトニックを会社に引き留めるためのものだと主張した。このボーナスは、実際に彼を引き留めることにつながり、4回目の最終支払いを、今年の年末というルトニックにとって絶妙なタイミングに設定していた。ルトニックは、この1000万ドルを受け取ってから約1カ月後にビジネスを離れ、閣僚入りする見通しだ。
(forbes.com 原文)