里山の森林は雑木林ともいわれ、大昔から自然のままの森のように見えるが、そうではない。かつては原生林であったが、長年にわたって人間が手を入れて利用してきた森だ。人々はこの森で木々を伐採して薪や炭を生産し、落ち葉を集めて肥料に使ってきた。
日本の国土の約3分の2を占める森林だが、原生林は4パーセント以下で、約40パーセントは木材に使うスギやヒノキの人工林だ。
残りの大半は、「里山林(さとやまりん)」と呼ばれ、コナラやクヌギといった広葉樹やアカマツが主体で、歴史を遡ることができる京都エリアでは、1000年以上前の平安時代の頃から森を利用する人間が増えたので、人が管理を続けてきた。
ところが1950年代から、里山の林が放置され出した。なぜなら、燃料のプロパンガスや石油が農村でも普及して薪や炭が不要になり、化学肥料が使われると落ち葉を利用することもなくなって人間の手が入らなくなったからだ。
それから40年ほどが経って、今度は別な異変も始まった。育ち過ぎた大木が日光を遮断するので、木の芽生えが少なくなって、新陳代謝の進まない森林になり果ててしまったのだ。
それだけではない。1990年頃から福井県などで増えてきた「ナラ枯れ」と呼ばれる広葉樹の伝染病が全国各地の里山林でも発生。原因である病原菌を運ぶキクイムシは、若木よりも大木で増えやすいこともわかってきた。
里山林は自然に戻ると思われていた
神戸市は、今年1月、農林水産省の研究職を経て神戸大学大学院教授を務めた黒田慶子を副市長に登用した。彼女は日本森林学会の会長を務めた森林研究の第一人者だ。大都市のイメージのある神戸だが、実は市域の約4割が森林で、その9割は里山林が占め、荒廃が問題になっていた。
そこで黒田に、問題点の所在を聞くと、「里山の木々の伐採は『自然破壊』だと日本人が誤解している。それが森林を窮地に立たせている」と切り出した。
里山林はそのままですばらしい自然だと思われていた、30年ほど前まではそれが社会全体の常識だった。
国の統計でも、植林されたスギやヒノキだけが「人工林」で、里山林は原生林と同様に「天然林」に分類されてきた。里山林は人の手を離れると、若い木が芽吹いて、自律的に循環し、森として持続すると、国も考えていたのだろう。
「研究者の多くも当時はそう思っていました」と黒田は言う。ところが1990年代、里山林にはナラ枯れや巨木化で「荒れ」が見え始める。それがわかると、学術界では、いったん人が関わった里山林は、定期的な伐採を含めた管理が必要であると、徐々にではあるが定説が変化し出したのだった。
ところが、黒田の見たてによると、日本人は深層心理に、樹齢を重ねた大樹を切ってはいけないという思いがある。それに輪を掛けたのが、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」だったという。このアニメでは、主人公の姉妹たちの生活圏に育つ巨大な樹木への称賛が描かれていた。
「トトロの森」にはモデルがある。東京と埼玉にまたがる武蔵野の「狭山丘陵」だ。いまでも美しい里山林とされているが、何度か指定管理者から相談を受けた黒田に言わせると、「ナラ枯れが進んでいる」のが現状だ。
現在もなお、里山の木を切ることを「環境破壊」と捉える人もいるため、荒廃を防ぐ特効薬ともいえる育った木々の伐採が実現しにくいという。
黒田は「薪や炭を採取していた広葉樹林は、昔のように伐採すれば、切り株から自然と芽が出て次世代の林になります」と話す。それは田畑で1年周期に作物を植え替えるのと同じだという。
この話を進めるには、伐採した木に金銭価値がなければならない。チップ化して燃料にする方法が一般的であったが、黒田の取ったやり方は流通変革を促すものだった。