では、女性のほうはどうだろうか。社会学者の江原由美子が提唱する「ジェンダー秩序」によれば、恋愛関係における性的魅力と、家庭内におけるケア役割の要請は密接に関連しあっている(注5)。というのも、性別分業において「女性」というカテゴリーは「他者の必要あるいは欲求を満たす手助けをすること」と結びついているからだ。
他方、「男性」というカテゴリーは「自分自身の欲求や必要に基づく活動」と結びついている。だから、異性愛において女性は、性的欲望の主体である男性の望みをかなえることが自分の努めであるように感じられるのである(注6)。それが恋愛の場におけるアドバンテージになるのであれば、「女らしい」外見やふるまいを自ら積極的に手に入れる努力がなされるようになるのは当然のことだろう。
ところで、以上のデート文化がかたちづくられるようになったのは、結婚を前提にした恋愛から、「純粋な関係性」への移行と関連するものとして説明できる。イギリスの社会学者のアンソニー・ギデンズ(注7)のいう「純粋な関係性」とは、「好きだから一緒にいたい」という純粋な思いによって成立しているが、こうした思いによって取り結ばれる関係は、経済や法などの外的な要素によって保証されるものではない。
どちらか一方が「別れたい」と告げればそこでふたりの関係が終わってしまう流動的で不安定なものである。だからこそ、デートという場が関係を続けていくためのコミットメントとして重要になるのだ。
「おごり/おごられ」という性別役割の陥穽
リード規範を支持する人ほど、恋人ができやすく、恋愛においてアドバンテージを持つ。一見すると、こうしたことには何ら問題がないようにも思える。しかし、現状の「ジェンダー秩序」をそのまま受け入れ、女性に対して「他者の必要あるいは欲求を満たす手助けをすること」が要請され続けるならば、今後も非対称なジェンダー規範は再生産され、維持されていくことになる。ネット上の「おごり/おごられ論争」では、都心の「港区女子」などの「華やかな女性」と富裕層の男性との関係のなかで、1980年代的で旧来型の性別役割が引き継がれていた(注8)。もし両者が結婚した場合、それぞれの性別役割はどうなるだろうか。男性の経済資本と女性の身体資本の交換(注9)がなされたのであるから、当然、家庭内では「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業体制へと移行することになるはずだ。
これらのことが大きな問題となるのは、端的に女性が自立して生きられなくなるからである。女性の従属は、男性への経済的依存から始まる。もし、女性自身に経済力がない場合には、どんなに優しい夫であったとしても、言いなりにならざるをえない場面が必ず出てくるだろう。
注5、注6:江原由美子『ジェンダー秩序 新装版』、勁草書房(2021)、注7:アンソニー・ギデンズ.『親密性の変容』而立書房(1992=1995)、注8:木村絵里子「「 奢り/奢られ論争」 と恋愛関係内性別役割分業」、『αSYNODOSvol.323.』、シノドス(2024b)、注9:アシュリー・ミアーズ.松本裕訳『VIP』、みすず書房(2020=2022)