WOMEN

2024.11.28 08:30

地銀のフロントランナーから地方のジェンダーギャップ改革のけん引役へ:WOMEN AWARD 2024〈個人部門〉受賞者インタビュー

吉岡佐和子|山陰合同銀行 代表取締役専務執行役員。1967年、島根県生まれ。島根県立島根女子短期大学(現・島根県立大学)保育科卒業後、山陰合同銀行入行。米子支店長、執行役員米子営業本部長などを経て、専務執行役員鳥取営業本部長に就任。24年6月より現職。

吉岡佐和子|山陰合同銀行 代表取締役専務執行役員。1967年、島根県生まれ。島根県立島根女子短期大学(現・島根県立大学)保育科卒業後、山陰合同銀行入行。米子支店長、執行役員米子営業本部長などを経て、専務執行役員鳥取営業本部長に就任。24年6月より現職。

ダイバーシティ実現への第一歩に位置づけられる女性活躍だが、毎年のジェンダーギャップ指数ランキングで、 日本はG7最下位に沈み続けている。

Forbes JAPANが主催する「WOMEN AWARD 2024」では、そんな閉塞した社会に風穴を開ける新たなリーダーを選出。

個人部門で「イニシアティブ賞」に選ばれた山陰合同銀行の吉岡佐和子は、いまだ男性中心の金融業のなかでも特にその傾向が強いとされる地方銀行で、生え抜き女性としては珍しい代表取締役に就任。地方企業で働く女性に勇気をもたらす彼女の「これまで」と「これから」。



「賞をいただけるのはうれしいですが、本来は頭取がこの賞を受けるべきなんです」

最初は吉岡佐和子のこの発言を、自分をこのポストに抜擢してくれた上司(山陰合同銀行頭取・山崎徹)への感謝の弁なのだと思った。しかしそれは、保守的な地方の金融機関において女性が代表取締役になるということが、本人のみならず、トップにとってもいかに大きな決断だったのかを物語る、重いひと言だった。

当たり前だが、フロントランナーの誕生には、その存在を育て、支援する存在が欠かせない。吉岡もその思いに応えただけと言いたかったのであろうが、ガラスの天井を実際に破り続けたのは彼女本人だ。

島根県内の短大を卒業した吉岡が入行した1987年は、男女雇用機会均等法が施行されたばかり。当時の銀行で求められる女性従業員像といえば、明るく、にこやかで、感じのいい“窓口のお姉さん”。吉岡自身も「3カ月後にはボーナスが出ると聞いて(笑)」入行を決め、27〜28歳で結婚退職するものと漠然と思っていたという。

しかし、多くの同僚たちが結婚や出産などで銀行を辞めていくなかで、吉岡は念願だった宣伝広告の部署に異動がかなう。その仕事にのめり込み、もっと深掘りするには責任者になるしかない、とそのポストに立候補する。女性では前例がなかったが周囲のサポートもあり、意識することなく彼女は最初の扉を開いた。

実のところ、吉岡自身は満足できる仕事ができればそれでよく、出世を意識したことはなかったが、時代の変化と地域の置かれた状況に背中を押されていった。
希望していた宣伝広告を担当する営業推進部に配属となった入行5年目のころ。

希望していた宣伝広告を担当する営業推進部に配属となった入行5年目のころ。

地域の危機が女性躍進のきっかけに

山陰合銀の地盤である鳥取、島根の両県は、人口の少なさで47都道府県の1、2位を占める。人口減少によりマーケットも縮小が予想されたことから、新たな市場を求めて山陽や兵庫、大阪などへと店舗網を拡大してきた。

このため新規エリアには転勤可能な行員、すなわち多くの男性行員が配属され、地元企業を支えるためには転勤のないエリア職である女性行員の活躍が不可決だった。しかし、彼女たちには法人営業の要である融資の経験がない。長い間、女性行員の役割は窓口か個人の資産運用だったからだ。当然ながら、法人対応が必須の支店長職に女性はいなかった。

ただ、山陰合銀は先を見越し、2000年ごろから法人分野でも活躍できるように女性の育成を体系立てたことで、13年には同行初の女性支店長が誕生し、15年には吉岡も2番目となる女性支店長に就任していた。
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文=古賀寛明 撮影=小田駿一

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