後継者不在問題と、アトツギの家業への印象の変化
山野:編集長だった頃、2008年のリーマン・ショックが終わり、中小企業の社長がみんな諦め始めたことを感じました。それまでは、「おじいさんが裸一貫で作った会社を、俺の代で潰すわけにはいかない」と言って頑張っている話が多かったものの、「俺の代で終わっていい」「息子に継げとは言えない」と言うようになった。帝国データバンクからも後継者不在の会社の多さが顕在化し、後継者不在問題がどんどん大きくなっていったんです。会社を残したいとチャレンジを始めたことで生まれた商品やサービス、生まれてきた価値観がなくなってしまうことに対して、何かしないといけないと本格的に動き出しました。
藤田:最初は何からされたんでしょうか?
山野:最初は大学でゼミナールをしていました。リーマン・ショック直後に親世代が子どもに継いでもらうことを遠慮する時代になっていましたが、子どもはどう思っているのか興味があったんです。
たまたま関西学院大学で起業家育成の授業をやってくれないかと頼まれていたので、内容をアトツギに変更しました(笑)。アトツギ・後継者ゼミを始めて、家が商売をやっている学生限定にしたんです。15人くらいのゼミ生がいましたが、コインランドリーや醤油屋など、いろんな業界の人がいました。
第1回の授業の際、黒板の真ん中に線を引いて、起業家・スタートアップと後継者・アトツギそれぞれに対してのイメージを書いてもらう恒例行事がありました。スタートアップに対しては、夢を実現、カリスマ社長、女優と結婚できるなどが書かれてた一方で、アトツギの方は悲惨で、親との確執、古い組織、借金みたいな。
山田:逆に解像度が高いかもしれないですね。
山野:家で親が喧嘩するからか、すごく具体的なんです。これは後継者不在になるわと思い、この学生のような人たちのイメージを変えていきたいなと思ったんです。授業には、スタートアップやベンチャーのようなアトツギ経営者をどんどん呼びました。アトツギだけどベンチャーみたいに活躍してる方々に、大変だった話をしてもらうんです。そうすると、家業を継ぎたくなかった人たちの意識が変わっていきました。
家業の見え方が変わっていく様子を見ていると、この世代のマインドセットを変えていくのは楽しいなと思うようになり、2018年に一般社団法人ベンチャー型事業承継を立ち上げました。
採用も、取引も。後継者が表に出ることによる変化
山野:中小企業庁が始めた「アトツギ甲子園」と言う事業があります。それまでピッチイベントは、スタートアップ系がほとんどでした。ガッツのあるアトツギがスタートアップ系のピッチイベントに紛れ込むことはありましたが、アトツギに限定したものはありませんでした。そこで、アトツギに特化したピッチイベントを中小企業庁がやることになり、初回から携わっています。第1回はコロナ禍にオンラインで開催しましたが、いろんな人の心を打って2回目3回目と続いています。セトフラの拠点・岡山は結構ファイナリストを輩出していて、いつの間にかアトツギ大国みたいになっています(笑)
最初に出た方が地元で熱量を広げてくれて、それが伝播していったんです。地域に根づかせていくことを目標としていたので、岡山は順調に来ていますね。
スタートアップの世界もそうですが、アトツギの場合は地域がひと塊である意識が強いので、エコシステムがより地域に作りやすいんじゃないかな。
山田:代表が地域の代表をどんどん作っている感じになってますね。