Yodleeの共同創業者シュワーク・サティアヴォルは当時の彼女を評してそう言う。
シン・キャシディは当時、サンフランシスコのミッション地区にあるアパートに住んでいた。あるとき郵便局から通知が届き、郵便受けを空にしないので今後は配達をしないと宣告された。
「出張続きでまったく家に帰っていなかったんです。1人だった事業企画チームは30人の大所帯へと拡大し、ものすごいペースでディールをまとめていました。同業者を買収するのです。とにかく前へ前へと進んでいました。ただそれも、ドットコム・バブルがはじけるまでのことでしたが」
1カ月もしないうちに300人が解雇された。
「チームの仲間を解雇したときには泣きました」
そうシン・キャシディは振り返る。
「私を信頼してくれていた人たちです。レイオフは私にとっても、つらい出来事でした」
YodleeはB2Bのビジネスモデルへと素早く転換し、生き延びることができたが、厳しい状況が長く続いた。03年、Yodleeとグーグルの両方で取締役を務めていたラム・シュリラムがシン・キャシディに電話をかけ、グーグルに移りアジア・太平洋事業とラテン・アメリカ事業を統括するよう説得した。グーグルに5年在籍したシン・キャシディだが、激務で消耗し尽くした。
「1000人のチームが4万人に膨れ上がり、常にだれかにクビを言いわたしていて。とてもハッピーではいられませんでした」(シン・キャシディ)
彼女は、CEOになりたい、起業家になりたい、分野はeコマースで、と目標を絞った。10年にはカリフォルニアに本社を置くソーシャル・コマース・プラットフォームPolyvore(ポリボア)を選んだが、6カ月後には無職になっていた。今年3月、フォーブス オーストラリアの女性サミットでこう語っている。
「創業者と私の価値観が異なっていたのです。ふたりともIQはほぼ同等でしたが、感情面であまり折り合いがよくなかったんだと思います」
eコマースにおけるコンテンツの重要性を学んだシン・キャシディは「ショッピングが楽しめるコンテンツ」を掲げ、11年にJoyus(ジョイアス)というビデオ・ショッピング・ネットワークを立ち上げた。
「売り上げ2000万ドルのビジネスに育てました。スタートアップとしてはなかなかの実績です。でも、そのために5000万ドルもの資本が必要でした」
17年、Joyusを売却したが、その額は5000万ドルに満たなかった。
続いて、米国トップのチケット販売サイトStubHub(スタブハブ)からCEOの誘いを受けた。彼女の下で、eBayの傘下にあるStubHubは、20年初頭にスイスのチケット販売サイトViagogo(ビアゴーゴー)に40億ドルで売却されたが、そのわずか1カ月後にはコロナ禍のために扱っているすべてのコンサート等は中止となった。