──世界保健機関(WHO)の「アルコールの有害な使用を低減するための世界戦略」では、30年までに有害なアルコール使用を10年比で20%削減することを求めている。
勝木:我々は「責任ある飲酒」をマテリアリティのひとつに掲げ、20年には日本で「スマートドリンキング」宣言をした。健康で長くお酒を楽しんでいただきたいし、有害なアルコールの飲酒は撲滅したい。それには低アル、ノンアル、大人向け清涼飲料の領域(BAC)で売り上げを伸ばすことが責務だ。
グローバルでは30年までに主要な酒類商品に占める低アル・ノンアル飲料の販売量構成比を20%にするという目標を掲げている。味づくりなどの力を磨きながら開発に取り組み、「ライフスタイル・イノベーション」を起こしたい。
──勝木社長のキャリアの転機は。
勝木:11年にオーストラリアに赴任したときのことだ。4件の買収を提案・実施し、自らオセアニア事業を担当するグループ会社の社長になった。だが、買収した企業のうち1社がデューデリジェンスで提供してきた情報に誤りがあり、企業価値に見合わない額で買収したことが判明した。その結果、減損も出した。
現地法人では「訴訟すべきだ」という声が大多数だったが、日本サイドには「みっともないことはできない」という雰囲気があった。そこで当時社長だった泉谷(直木氏)に報告と相談に行ったところ、泉谷は冗談交じりに「お前の出世はもうないな」と言った。私はバーンと机をたたいて「出世の話をしに来たんじゃない!」と言い、訴訟したいと伝えた。本気が伝わったのか、泉谷は「一緒に戦おう」と言ってくれた。そして訴訟から1年半後に約200億円で和解し、業績もなんとか回復した。
和解の報道が新聞に載った日、300本近い称賛のメールが届いた。主にアジアやインド系の人たちからだった。グローバルの競争社会で上を行かなくてはいけないという闘志が芽生えた。この経験が今に生きている。
──「いい会社だ」と思った瞬間は。
勝木:私が新卒で入社したニッカウヰスキーがアサヒに統合されたときのことだ。前日の晩、ニッカの同僚と居酒屋で「俺たちは終わったな」と泣いた。だが翌日、アサヒの社員はごく普通に接してくれた。1年半後、M&Aの担当者として買収した企業の統合プロセスを手がけるなかで、同僚がある資料をもってきた。それは、ニッカ統合のときにアサヒがつくった「ニッカ統合10カ条」だった。そこには「社員を出身で差別することは許さない」と書いてあった。
そうだったのか、トップの明確な意思が社員全員に浸透していたから、私はあのとき嫌な思いをしなかったのか。初めてそう気づき、泣いた。20年以上たった今でも、この話をすると涙が出る。
22年6月からタウンホールミーティングを始めた。国内外60カ所以上を回ったが、明るく誠実な社員が多い。なんでも素直に話してくれる。いい会社だと思うと同時に、社員から元気をもらっている。
アサヒグループホールディングス◎1889年創業。ミッションは「期待を超えるおいしさ、楽しい生活文化の創造」。ビールを中心とした酒類、飲料、食品などの領域でさまざまなブランドをもち、世界各地でビジネスを展開している。
勝木敦志◎青山学院大学経営学部を卒業後、ニッカウヰスキーに入社。2002年にアサヒビールに転籍。国際経営企画部長を務め、14年に豪社CEOに。アサヒグループホールディングス専務取締役兼専務執行役員兼CFOなどを経て21年より現職。