変化の多いこの時代、現代人は常にさまざまなストレスと戦っている。考え続けてしまう頭をスッキリさせるために、ランニングやジムでの運動、そして瞑想や(私もそのひとりであるが)サウナでととのうことなど、さまざまな方法を試している人も多いのではないだろうか。気持ちや頭をリフレッシュさせることで、日々の戦いに向き合うエネルギーを得ることができるはずだ。
そんな方法のひとつとして、私はここ1、2年ほど「滝行」が気になっていた。滝行は文化的な行為であるとともに修行的な要素もあり、宗教的な側面もあるため、脳のリフレッシュのためというとらえ方をするべきではないのかもしれないが、あるときから私の周りの経営者の知人や古くからの友人、メディアからの情報など複数のルートから「滝行」というワードが耳に入ってくるようになり、やってみることにした。
運が良いことに、私には静岡県磐田市にある「大乗院三仭坊」で僧侶をしている量雲という友人がいる。彼が修行として定期的に山奥で滝行をしているということを知った私は、お願いをして今年2月の少し雪の降るなか、磐田市と浜松市を跨ぐ山奥での滝行に同行させてもらうことになった。
車で早朝に出発し、山について車を降りたところで入山の挨拶として法螺貝を吹き鳴らす。そうして山を登り始めて30分ほどたったころであろうか、姿を現した小さな社であらためて山と滝への挨拶をしてさらに5分ほど登ると、ようやく目当ての滝が現れた。高さは10mないくらいだろうか。小さくはあったが水量は多く、滝つぼの深さも膝ぐらいまであり、滝行をするにはとても良い滝に思えた。
古くから多くの修験道で使われてきた滝なのもうなずける。あたりには雪もちらつき、気温はマイナス。装いはもちろん裸に白いふんどし一丁である。いよいよ滝へと一歩を踏み出し、滝つぼの水に足をつけた瞬間、これまで感じたことのない、足先がまひしたような冷たい感覚が襲ってきた。我ながら長年のサウナ経験で極寒の水風呂には慣れていたつもりであったが、凍る寸前の水温かつ打ち付ける水流もあって、それとは比較にならない冷たさだった。ようやく数歩進んで滝が激しく落ちる場所にたどり着くと、いよいよ滝行の始まりである。