来たる「イノベーションの祭典」のムードを背景に、未来技術の社会実装を目指す金融のプロたちが「MUIC Kansai」で奔走している。
大阪の金融センター地区、淀屋橋。御堂筋沿いにそびえる三菱UFJ銀行大阪ビル本館の南隣にMUIC Kansai(以下、MUIC)はある。MUsubu Innovation Center―「イノベーションを結ぶ」という思いが込められた「MUIC」は通称であり、正式名称は一般社団法人関西イノベーションセンター。三菱UFJ銀行(以下、MUFG)などが運営する「観光・インバウンドの課題解決を目指すオープンイノベーション拠点」がローンチして3年半になる。
MUICでは共創の起点となる課題の特定から、チームアップ、ビジネスモデルの具体化、資金支援、実証実験、効果検証、そして事業化というゴールまでを担う。参画企業とともに悩み、汗をかきながら伴走するのはMUFGからの出向者8人のメンバーだ。
ビルの入り口にはロゴマークの入った白い暖簾(のれん)がかかり、その脇では幸運の神・ビリケンが光り輝く。奥へ進むと、木の温もりを感じる、ゆったりとしたオープンスペースが広がる。中秋を過ぎても夏のような暑さの午後、ここに穏やかな面持ちで現れたのは、MUICの理事長で、三菱UFJ銀行副頭取の早乙女実だ。万博を目前にした今、活況を見せるMUICが果たそうとする「使命」とは何なのか。
ーーオープンイノベーションはさまざまな企業が取り組んでいますが、なかでもMUICはユニークな仕組みで展開されていますね。
早乙女実(以下、早乙女):スタート時にテーマを観光関連産業に絞ったこと、そして場の提供やマッチングだけにとどまらずに、伴走型支援で行っていることがユニークたる部分でしょうね。
立ち上げから3年半がたちますが、大手企業とスタートアップ企業の計88社・団体にご参画いただき、トライ&エラーを繰り返しながら83件の実証実験を行ってきました。そのうち、社会実装化したのは20件程度ですが、まずこの数の実証実験を行えたこと。これはMUICの枠組みが奏功している証左なのでは、と私自身は考えています。
ーー金融機関であるMUFGが中心に運営されているメリットは何だと思いますか。
早乙女:金融機関ならではのネットワークの広さ、深さは大きいでしょうね。しかし、単に大手企業とスタートアップ企業をつなぐだけではなく、当社から8人の社員が出向し、ハンズオンでスピーディに進めている。やはりこれがうまく機能しているのだと思います。
(紙をヒラヒラさせながら)これ、広報が用意してくれた想定問答のペーパーなんですけど、最初の1枚目までしか目を通せていなくて。ほら、赤いマーカー、ここで終わってるでしょ。すみませんが、このままアドリブでいかせてもらいますよ(笑)。
「やってみなはれ」の気質をもう一度
ヒラヒラ空を泳ぐ想定問答は、早乙女がこれから何度も口にする「非定型」という言葉を象徴するかのようだった。「マッチングして、あとはお任せします、ではなく、事業化までハンズオンでしっかり関与していく」(エグゼクティブマネージャー・楠田武大)
「『お金は出します。あとはよろしく』ということではなくて、事業化のプロセスに当事者―というとおこがましいかもしれませんが、それに近い立ち位置で携わっている」(シニアマネージャー・林勇太)
MUICメンバーの経歴は入行9年目の中堅から25年のベテラン行員まで、さまざまだ。法人営業や自治体担当の経験者、さらには奈良県庁から人事交流で出向してきている異色の経歴者もいる。
早乙女:メンバーたちはみんな取り組みをわが事としてとらえ、かなり踏み込んだ、実務レベルに近いところでの支援を行っています。出てきたアイデアに対しても、いける、いけないの判断を比較的スピーディに出す―そうすることで、参画企業さまは新たなアイデア出し、方向転換を早いタイミングで行っていただけていると思います。従来の銀行観を変えるようなスピードが大事なんです。
ーーところで、そもそもなぜMUFGはこうした取り組みを始めたのでしょう。
早乙女:大きなきっかけとしては、55年ぶりに開催される大阪・関西万博です。これを契機にMUFGとして将来世代のために貢献できることは何か、何を残していけるのかを真剣に考えました。関西は観光資源が豊富。重要文化遺産の約半分は、関西に集中していますからね。
しかし、インバウンド消費単価の観点で見ると、必ずしも関西は上位に挙がらない。つまり関西には伸びしろがある。日本は今オーバーツーリズムやインバウンドの課題も抱えています。そこで関西を起点に観光関連産業でイノベーションを起こし、そこから日本を元気にしていこうと考えたんです。
ーー社会実装化の事例には、どんなものがありますか。
早乙女:例えば、リモート観光のLetʼs EXPOは、万博に簡単に行くことができない方々の課題を、当事者とその家族や介護・福祉関係者と解決するサービス。身体的負担の軽いパッケージツアーや万博会場を見学できるオンラインツアーなど、中身も非常に充実しているので多くの方々にご満足いただけるのではないでしょうか。
ほかには、手ぶら観光と手荷物預けを実現するシティチェックインもあります。今観光地ではインバウンドの持ち歩くスーツケースが問題になっていますからね。それからマインドフルネスアクティビティを提供する移動式の瞑想体験車両・(MU)ROOM Rideも面白いと思いますよ。私なんて、気持ちよくなりすぎて眠りそうになってしまいましたけど。
ーーその数といい、中身といい、取り組みの充実ぶりが目立ちます。これは大阪、関西という地域性も関係しているのでしょうか。
早乙女:元来、大商都・大阪には「やってみなはれ精神」があふれています。進取の気性ですね。
本町に「大阪企業家ミュージアム」があるのをご存じですか。そこには明治以降、大阪を舞台に成功した企業家105人の実績が展示されていますが、そのうち大阪出身者はたったの20人。ちょっと意外な感じがしました。本来はイノベーションを生むぞという気質にあふれた歴史がある。大阪はそういう地ですから、この先また、時代を動かすイノベーターが登場するだろう、その基盤を共創の場として運営していきたい、と。
現実的には、今東京一極集中がどんどん進んでいます。マーケットの多様性・質・量で東京が有利なのは当然のこと。ですが、MUICでは大阪の良さである進取の気性、実証都市・実験都市としての大阪を強く残しながらやっていきたい。これは、この活動で強く思うところですね。
ーー今後は、万博レガシーを社会実装していきながら、さらなる発展を見据えているそうですが。
早乙女:これまでは万博に向けてやってきましたが、アフター万博のMUIC2.0では、業種・エリアをさらに広げ、取り組みの数も桁を上げ、200件以上の実証実験、実装化を目指します。すでに福岡に拠点をつくりましたし、西日本の他地域でもMUICをスタートさせていきます。観光資源に限らず、各地域にあるさまざまな資源、伝承技術などの財産をどう生かしていくのか。
これからの地方創生の観点も踏まえ、発展させていきたい。より多くのお客様に参画してもらうため、競合の金融機関にもお声がけしているところです。なかなか大胆な動きかもしれませんが。
ーー最終ゴールはどんな風景になるんでしょう。
早乙女:MUICの神髄ともいえる、このスピーディなイノベーションエコシステムを遠い将来世代に確実に残していく。これがいちばんの願いであり、大目標ですね。イノベーションの創出、社会実装化から資金が生まれ、それが次のイノベーションを生みます。それは、産業の新陳代謝につながっていくのですから。
型にはまらない挑戦をしてもらわなければ困る
ーーところで早乙女さんは、1989年に三和銀行へご入行されました。以来バンカーとして35年。早乙女:すぐそこの、中之島にあるフェスティバルホールで入行式があったんですよ。遠い昔になってしまいましたけどね。
そのころから私のバンカーとしての持論は、「銀行は裏方」というもの。お客様のチャレンジのお手伝いをするという醍醐味があるから、この仕事を選びました。35年のバンカー人生にはバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、パンデミックと数々の大きな出来事もあり、産業の栄枯盛衰を目の当たりにしてきました。
そのなかで感じたのは、世に求められる技術やサービスを提供し続けられる会社は生き残るということ。それを見極めるのは難しいですが、少しでもその先見性をお客様と一緒に示し、発揮していきたいです。
ーー「銀行は裏方」という思いはMUICの活動そのもののように思えますね。
早乙女:もっと若いときに現場でやりたかったくらいですよ。今いるメンバーには「銀行のなかで、とにかく新しいことをやりたい」と手を挙げてMUICに来てくれた若手もいる。銀行って「定型」のお仕事というイメージをもたれていると思うんです。内側からも外側からも。しかし、MUICではあえて「非定型」な仕事にチャレンジしてもらっています。いや、型にはまらない挑戦をしてもらわなければ困るんですよ(笑)。「やってみなはれ」なんですから。
こうした型破りな「非定型」の仕事に従事することはバンカーとしても社会人としても、自分の幅を広げるような非常に貴重な経験になるでしょう。バンカーの新しい姿を発信していきたいですよね。
ーーテクノロジーの進化が著しいこの時代、実務レベルでの伴走支援は非常に労力を要します。現在MUICのメンバーは一人あたり6、7件の実証実験プロジェクトを抱えているとか。非定型な挑戦、突破力が求められる試みに、なぜあえて、取り組まれているんでしょうか。
早乙女:「これがMUFGの本気度の高さなんです」。この一言に尽きるでしょう。ただ、そこには本質的な楽しさがあるのではないか、そんな気もしているんです。なぜなら、ビジネスで起こりがちな利益相反の心配がないですし、VCのハンズオンとも違って全力でボランタリーな支援が行えますから。
インタビュー後は行員たちとの飲み会だという早乙女は、最近はやっているという乾杯の音頭を教えてくれた。
早乙女:僕が「風は?」と言うと、みんなが「西から!」ってね(笑)。イノベーションの芽は、日本各地で大きく育てていくべき。商都・大阪を中心にした西日本各地から、その新しい風を起こしていくんです。
そうとめ・みのる◎三菱UFJ銀行取締役副頭取執行役員。栃木県出身。1989年早稲田大学政治経済学部卒、三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。三和銀行越谷支店からバンカー人生をスタートさせ、執行役員 融資部長、同法人企画部長、常務執行役員 法人・リテール部門副部門長などを経て2023年から現職。VCやカード会社などの社外取締役も歴任。