この課題を克服するには、会社がトップダウンで社員に講習などを受けさせるのが一般的だろう。だが、アステラスは違った。24年夏に社内のデータサイエンティスト集団が自発的に講座を立ち上げ、学びたい人を募ったのだ。結果的に600人が参加したという。しかも、受講生には「業務上の課題をもち寄ること」という宿題が与えられた。リスキリングを単なる知識の習得に終わらせず、現場力の向上につなげるためにと社員自ら発案したのだという。
「部門の垣根を越えてスキルを共有する組織であってほしいと常々思っていましたが、私が言わずとも社員が自らやっているというのが、アステラスがだんだん変わってきたところかなと思います。教えたい人が教えて、学びたい人が学ぶ。そういうのが私は好きなんです」
「何でも自分でやる」からの解放
こう話す岡村だが、昔は違った。何でも自分でやらないと気が済まない性分だった。何が岡村を変えたのか。転機は今から約15年前にさかのぼる。10年、アステラスはアメリカの製薬会社OSIファーマシューティカルズを買収した。当時、岡村は事業開発部でディールを担当していた。敵対的買収だったため、互いの経営陣が話す機会もないまま決まった買収だった。
このときニューヨークで現場の統合を任されたのが岡村だった。48歳にして初の海外赴任。アステラス一筋で、米国企業で働いた経験はない。しかも研究から製造技術、人事、法務、財務に至るまで、何もかも「プロフェッショナルとは言えない」状態だった。
「それまで私は、契約書は隅から隅まで読み、経済性評価のスプレッドシートは自分でつくり替えるような人間でした。でも、このやり方で統合を進めるのはもう無理だと思った。それで『あなたたちは専門家なのだからよろしく』と、現場に権限を委譲したのです」
敵対的買収をしたOSIとアステラス。各部門に、それぞれ異なる文化で育った従業員たちがいる。現場をどのように統合し、ひとつの組織として働いていくべきなのかはプロフェッショナルな従業員たちがいちばんよくわかる。そう信じた。
「本社の了解を得なくてはいけないときだけは、私がいちばん上手だから言ってくれと伝えました。このとき以来、自分の働き方やマネジメントのスタイルがガラッと変わってすごく楽になった。あの経験がなかったら、私も組織も『任せる』スタイルにはなっていなかったと思います」
とはいえ、自社が社会に果たすべき役割と自身のミッションを的確にとらえ、従業員に主体的な変革を促すためには、トップ自ら対話を通じて経営方針を社員に浸透させることが不可欠だ。心理的安全性を確保しながら信頼性を醸成できるかどうかは組織の成功の鍵となる。
そこで、岡村が副社長時代に始めたのが「何でも訊いて」(Ask Me Anything)という社内イベントだ。オンライン上で岡村と社員たちが直接対話するもので、日英両言語で毎月1回ずつ実施している。