殺害された瞬間はイスラエルのテレビで生中継されましたが、その状況下でも博士は「I shall not hate(私は憎まない)」と公言し、暴力では何も解決しないと訴え続けています。彼の半生を描いたドキュメンタリーの公開に合わせたアブラエーシュ博士は現在トロント大学で教鞭をとっています。
カナダに帰国する当日の朝、東京都内で開催された著者とのインタビューで、ネタニヤフ首相個人に対する制裁の必要性、ハマスに関する誤解、そして教育の重要性など多岐にわたり語りました。
ガザの現実:移動制限が妻との最期を阻んだ
イスラエルの病院で働く初のパレスチナ人となったアブラエーシュ博士にとって、ガザ地区からの通勤は「毎日が試練の連続」だったといいます。彼が最も苦しんだのは、「移動の自由」が奪われている現実でした。「仕事に向かうために毎日検問所を通過することは、時間の無駄でしかありません。1日かかるかも、出れないかもしれない。」と博士は言います。そのため、週の初めにイスラエルへ向かい、週末にガザへ戻るという生活を送っていました。
彼が子どもたちの将来のため、ヨーロッパやアフリカで新たな仕事を探し始めた矢先、妻が急性白血病で危篤だという連絡を受けます。滞在先だったブリュッセルからテルアビブまでの直行フライトは数時間ですが、何カ国も経由し、検問で何時間も足止めをくらい、最期の瞬間に立ち会うのがやっとだったのです。検問所を通過できるかどうかは、18歳や19歳位の若い兵士の判断に委ねられていました。「若い兵士に権力を与えると、それが乱用されてしまうことはどこの国でも同じです」。それでも博士は、イスラエルとの架け橋となるため医療の仕事を続けたといいます。人種や国籍を超えた人間としての結びつきがあったからです。