「王道」を革新する 穴窯に向き合い続ける陶芸家の美学

窯から引き出す《瀬戸黒》。急冷で漆黒の鮮やかな黒になる

窯から引き出す《瀬戸黒》。急冷で漆黒の鮮やかな黒になる

鬱蒼とした雑木林の闇夜に、唯一の光源は炎が吹き出す穴窯だけ。1200度を超える穴窯の前で、五昼夜も休まず薪をくべ続ける陶芸家こそ、幸兵衛窯八代目の加藤亮太郎だ。その年の最も優秀な作家に対して授与される「2023年度 日本陶磁協会賞」を受賞し、名実ともに現代の日本陶芸界を代表する陶芸家の一人として注目を集めている。
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人間国宝の祖父を持ち、伝統ある窯元の長男として生まれた加藤が追求するのは、桃山陶の茶盌、つまり陶芸における「王道」の革新だ。ビジネスパーソンには縁遠い陶芸の世界だが、イノベーションという共通点から茶盌の世界を紐解いてみたい。


桃山に還る。非効率な穴窯に挑む理由


「一生に一碗でいい。数百年後に残る茶盌を焼きあげたい」そう話す加藤は、1804年に開窯した美濃の名窯、幸兵衛窯の八代目。鬱蒼とした雑木林に原始的な穴窯が鎮座する風景は、美濃焼の歴史と文化を感じさせる。
現在も窯焚きが続く。開窯220年の幸兵衛窯

現在も窯焚きが続く。開窯220年の幸兵衛窯

織田信長や豊臣秀吉、千利休が活躍した安土桃山期は、政治、経済、文化が密接に絡み合った時代だ。約30年という短い間に茶の湯が流行し、志野、織部など代表的なやきものが生まれたのが美濃、現在の岐阜県東濃地域である。

この地で今もなお、加藤は毎月のように窯焚きをする。穴窯に御神酒をささげ、柏手を打ち、火を入れる。五昼夜にわたり1200度になる炎と向き合い、「生死の境目」を感じながら、祈りにも似た時間を過ごす。1本1本、愛情を込めるように薪を焚べる。窯から作品を出す瞬間は「まるで自分の子どもを取り上げるよう」だという。窯から茶盌を引き出し冷めていく過程で貫入(ひび)が入るが、この時に鳴る風鈴のような音色は「産声」とも呼ばれている。
繊細な温度管理のため、松の薪を数分おきに焚べる


繊細な温度管理のため、松の薪を数分おきに焚べる


一度に焼成する作品は約150点。同じように成形し、釉薬をかけた茶碗でも、窯の中のどの位置に置くかによって、熱の伝わり方、灰のかぶり方、釉薬の熔け方がかわり、全く違う「景色(やきものの表情)」の茶盌になる。

作家の意図や技術に、穴窯の炎という自然の力が合わさることで、時に作家の予想を超える傑作が誕生する。そんな穴窯を、加藤は「錬金窯」と呼んでいる。穴窯は経年で内側がガラス化するなど変化し、作品の焼きあがりが変わってくるのだという。穴窯もまた、生きものなのだ。
 
しかし、穴窯で作品になるのは約3割、納得できる作品はごく一部だ。ガス窯、電気窯を使う作家も多いなか、非効率で薪代もかかる穴窯に、がむしゃらに薪を焚べ、年間8〜10回という数多くの窯焚きを続けている理由は、安土桃山時代に生まれたやきもの「桃山陶」への思いに他ならない。

成形は「土が勝手に形をつくる」感覚に手を合わせる

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