人間国宝の祖父を持ち、伝統ある窯元の長男として生まれた加藤が追求するのは、桃山陶の茶盌、つまり陶芸における「王道」の革新だ。ビジネスパーソンには縁遠い陶芸の世界だが、イノベーションという共通点から茶盌の世界を紐解いてみたい。
桃山に還る。非効率な穴窯に挑む理由
「一生に一碗でいい。数百年後に残る茶盌を焼きあげたい」そう話す加藤は、1804年に開窯した美濃の名窯、幸兵衛窯の八代目。鬱蒼とした雑木林に原始的な穴窯が鎮座する風景は、美濃焼の歴史と文化を感じさせる。織田信長や豊臣秀吉、千利休が活躍した安土桃山期は、政治、経済、文化が密接に絡み合った時代だ。約30年という短い間に茶の湯が流行し、志野、織部など代表的なやきものが生まれたのが美濃、現在の岐阜県東濃地域である。
この地で今もなお、加藤は毎月のように窯焚きをする。穴窯に御神酒をささげ、柏手を打ち、火を入れる。五昼夜にわたり1200度になる炎と向き合い、「生死の境目」を感じながら、祈りにも似た時間を過ごす。1本1本、愛情を込めるように薪を焚べる。窯から作品を出す瞬間は「まるで自分の子どもを取り上げるよう」だという。窯から茶盌を引き出し冷めていく過程で貫入(ひび)が入るが、この時に鳴る風鈴のような音色は「産声」とも呼ばれている。
一度に焼成する作品は約150点。同じように成形し、釉薬をかけた茶碗でも、窯の中のどの位置に置くかによって、熱の伝わり方、灰のかぶり方、釉薬の熔け方がかわり、全く違う「景色(やきものの表情)」の茶盌になる。
作家の意図や技術に、穴窯の炎という自然の力が合わさることで、時に作家の予想を超える傑作が誕生する。そんな穴窯を、加藤は「錬金窯」と呼んでいる。穴窯は経年で内側がガラス化するなど変化し、作品の焼きあがりが変わってくるのだという。穴窯もまた、生きものなのだ。
しかし、穴窯で作品になるのは約3割、納得できる作品はごく一部だ。ガス窯、電気窯を使う作家も多いなか、非効率で薪代もかかる穴窯に、がむしゃらに薪を焚べ、年間8〜10回という数多くの窯焚きを続けている理由は、安土桃山時代に生まれたやきもの「桃山陶」への思いに他ならない。